「と」を入れるのか、入れないのか――2.「腐女子こうもり」

私は、自分を、「腐女子こうもり」だと感じることがある。
今いうところの、いわゆる「腐女子」には、おおまかに2タイプあるように思う。
1タイプは、生粋のやおい系というか、「腐女子」のコアな部分に属する層。
もう1タイプは、やおいも読むけど(あるいは書くけど)、それはオプションの一つである、というタイプ。今ではそれも「腐女子」のなかに入れられるけれども、昔は、こういうのは腐女子って言わなかったよね、というような層だ。
それは、たとえばイベント後にオフ会をしたりすると、まるで禁煙と喫煙のテーブルのように、「なんとなくきれいに」分かれていったりしたものだった。
そして、女性向同人誌の世界は、その八割近くが、前者のタイプのものだと思う。
実際の人口比率はもうすこし違っているとしても、なんとなく感じる勢力図というか、「幅」としてはそんな感じだ。
以前、前者のタイプの友人と、もっとも大きく齟齬を感じたこと、
それは、彼女は自分をマイノリティだと感じ、後者のタイプの私を、マジョリティの側だと位置づけていたらしいことだ。マジョリティの私が、マイノリティであるところの腐女子を攻撃する、そのように受け取られる。
しかし、それは私の側からみると大きく違う。たしかに、社会との関係でみれば、「腐女子」はマイノリティである。だが、同じ、同人誌を愛好する系の女性オタクのなかで見るならば、「腐女子」は、最大のマジョリティである。他の腐女子の友人が言った例えが面白くて、「与党と野党っていうのじゃ足りないね。自・公・保と民主を一緒にしたような勢力だよね」と。ほんとに、そのくらいの最大派閥だと思う。
そんな中で、なんとなく「やおい」に居心地が悪くて、かといって、「同人誌」というものは大好きで… というタイプの人間は、非常に、肩身のせまい青春を送ることになる。
「男男カプが書けなくて肩身がせまい」という感情を、実感として、理解できる人はどれほどいるのか。
「作品が出せなくて肩身がせまい」ということではなくて、男男カップリングそのものが書けなくて、あるいは理解できなくて、そこで安らげなくて、でも、自分は同人誌の好きなオタクであって、肩身がせまい、という気持ちを。
これは、その気持ちを持ったことがない人にとっては、なかなか、わからない感情なのではないかと思う。


自分は「こうもり」だと思う――そう感じているのが私だけなのか、他にもたくさんいるのか、ずっと、そのことを聞いてみたかった。
腐女子」は、みんな、本当にやおいが好きなのか。「そこ」に含まれる個々人の中に、痛みや揺れや、軋轢はなかったのか。
多分こんなことは、黙っていた方が良い部類の告白だ。この業界でやっていくためには、その方が万事に良いと思ったからこそ、今まで言わないできたはずだからだ。
女性向け同人の世界にいて、「やおい」にしっくりこない部分がある、と、発言することは難しい。恐怖を覚えるくらいに難しい。
けれども、私は、「やおいが分からなかった」「やおいが嫌いだった」女性オタクは確実にいると思っているし、その言葉を、聞いてみたい。
やおいを否定するとか、攻撃するとかそういうことがしたいのではなくて、どうして居心地が悪かったのか、どこにしっくりこなかったのか、そういう話をしてみたいのだ。同人誌の「女性向け」という世界の、ピア・プレッシャーの中で、なにを思い、どう感じてきたのかを。


コメントでもメールでも、拍手でも構わないので、短い言葉ででも、教えて頂けたらとても嬉しい。
もし発展できるなら、チャットを実現できたらいいなと思う。参加してもいいと思ってくださったら、メールアドレスを付記して頂ければ幸いである。
(以下に続く)