「と」を入れるのか、入れないのか


以前に、「受けと攻めの話」について考えたとき、
とある海賊漫画のお二人、ゾロとサンジを例にして、そこには(おおまかに)四通りの視点が存在すると書いた。

 (参考 id:mikaki_molly:20060916 )



しかし、キャラA、キャラBに対する「AB記法」、また、今は懐かしい感すらある「A×B記法」のほかに、
もう一つの記法が存在している。
それは私にはなじみの深い、しかし、一方ではどこか肩身の狭い、
AとB」、という記法である。


この「AとB記法」、自分でも使ったことのある人には、なんとなく、そのニュアンスを理解してもらえることだろう。
が、一方で、多くの801系女子の皆さんには、「なんとなく煮え切らない」「すっきりしない」という印象を持たせるのではないかと思う。


私が「AとB記法」を使ってきたのは、そのパロにおいて、「ガチでやおいかと言われるとちょっと違う…」という気持があったからだ。
私にとっての「やおい」とは、二者の間の或る「濃い関係」を「恋愛に読み替える」というものであり、しかし自分の中では、二者の距離感を、距離感として保全したい、という気持ちが強く働く。せっかく今のままで、スペシャルな、濃い関係になり得ているのだから、それをあえて恋愛にしなくてもいいのではないか? という気持ちだ。
その感覚が一番強く出たのは、デスノートのLと、夜神局長の関係についてだった。
なので、ガーン! と燃えてからというもの、しつこく、「Lと局長」と書き表してきた。
が。しばらく使ってきて、どうも、使い勝手が悪い、通りが悪い、ということに気がついていく。
なんだか、この「と」が、熱効率を妨げているような感じなのだ。


そのとき、この「と」について、また自分の萌えの商標(笑)について、考えることになった。
私が最も思ったのは、この「と」が入ることによって、世の中の流通コードに乗らなくなる、ということだ。
例えるならば、自分だけ、違うバーコードを使っているような感じだ。
もう今は昔のことかもしれないが、かつては、書籍のカヴァーにバーコードは一本しかなかった。が、今は、二本、並べて記載するのが業界標準になっている。
これについて、デザイン性を損ねる、と、反発するデザイナーもいた。私は過去文学系の出版社に勤めていて、ある意味では古い世界であり、編集長とデザイナーとが、バーコードを載せる、載せないで揉めているのを見たこともある。
載せると主張する編集長自身も、せっかく美しく装丁した本に、バーコードが結構な大きさで入ってしまうことを、内心は不本意に感じていたようだ。
しかし、そんなバーコードとのデザイン性との問題は、「商品を世の中にスムーズに流通させる」という至上命題からすれば瑣末なことだった。
デザイン性を、つまり、自己の内実を重視して、バーコードのない本を作るのは自由である。
が、その本は、流通のあらゆる場面で、不利をこうむることになるだろう。前職の同僚は、書店に納品に行くと、自社の既刊本について、「これ、バーコードを貼りこみできませんか?」と、書店員さんからクレームをもらうそうだ。POSを通す際に、バーコードがないと、とても面倒なのだという。


なんとなく、この「と」問題は、それと似たものをはらんでいるように感じた。
「L局」などというマイナーな話でなくとも、「L月」あるいは「月L」と書いたらすべてが通る。が、それを「月とL」と書いてしまうことによって生じる、「なんだか小難しい感じ」、「なんとなく違う感じ」は、同好の士とのコミュニケーションにおいて、妨げになりはしないか。
私には実は、「AB表記」、また「A×B表記」はもっと、不自由なものだった。
「AB」あるいは「A×B」という記法で想起され、共有される認識と、自分の考えているものとは、齟齬がある気がしたからだ。
けれども、私はじきに、間に「と」をはさむことをやめた。
「みんながABと書く」なかで、自分だけ「と」を挟んでいることに、気持ち的に参ったのだった。
これはもうバーコードとか、シールのようなものなのだから、ぺたっと貼っておけばいいではないか。
そういうところに、自分の悩みを落とし込んだのだった。 (以下に続く)