オタク友達とのトラブル  ――「腐女子こうもり」と「腐女子・トラブル」



どうして、「オタクの友達」というのは、ただそれだけで特別なんだろう。
本当に安らげる親友も、高校時代からの付き合いで最愛の友達もいるのに、彼女たちとの会話では決して満ちていかない部分がある。その部分だけが自分ではないけれど、しかし、それは物凄く大きな部分なんだよな、ということを、最近、とみに思うのだった。
オタク、の語の指す意味はとても漠然としているけれど、でも、オタクでなくなった自分はやっぱり自分ではない、と思う。
長年のオタク友達とこじれたことを引きずって、人の輪から遠ざかってしまい、人とのつながりが希薄になって、このブログすら野ざらしになって久しい今日、つくづくとそう思うのだった。



オタクとコミュニケーションしない毎日はさびしい。たとえ漫画やアニメに抵抗がなかったり、同じ作品が好きな相手であっても、自分の問題意識を共有できなければ切ない。誰かと、腹を割ってとても深いところまで(それもオタクのことで)、話し込むことができない毎日は苦しいものだ。それは、話す中身や、その情熱が、自分の内実に奥深く根ざしている物事だからだと思う。



今思うと、なぜあんなにオタク友達とこじれてしまったかということも、自分の中の、これを違えてしまうともう自分ではない、という部分に、嘘がつけなかったということだろう。だから、自分のあり方を裁かれたり、介入されたり抑圧されたりということが、とても嫌で、とても苦しかったのだった。
といって私には、それは唯一無二のコミュニティであった。私はそこにいる人たちが好きで、生きていく意味とかなりの部分重なるほどに、大切なものだったからだ。だから余計に抱え込み、うまく対応することが出来なかったのだろう。



私はそこから出て行きたくはなかったし、できるなら静かにそこにいたかった。だからオタクのことで、「おまえは腐女子ではない」と言われたり「非腐女子の〜」と冠をつけてブログに書かれたり、そうやって差別化をされることが、私にはとても苦痛だったのだ。当人はそれを、区別だと思っていたようだ。けれども「違う」という言葉には、どうしても否定の意味がつきまとっている。それは発話者には気づきにくい毒で、私自身気がつかずについ使ってしまう。けれども、受け手は、敏感に削り取られていく。その「違う」は、心をとても冷たく冷えさせてしまう。違う、違うと繰り返されるたびに、私は排斥されていく思いがした。そもそもなぜ、区別をされなければいけないのか、それを言及されなければいけないかが分からなかった。それは以前にも書いた「腐女子こうもり」ということなのだが、その「違い」をあげつらわれるのは、私にとって、「そこにいる権利」を、脅かされることに似ていた。ひとりだけ毛色の違う生き物であることをあげつらわないでほしい。信徒の中の、たとえ異端であっても、そのことを責めないでほしい。なぜなら、私も、等しくその神を愛しているのだから。


私はずっと、そう言い続けてきた。心の中で。
けれどもその思いがはっきりと言葉を獲得できたのは、それから随分経ってからのことだった。
私には、その体験を解釈し、回収し、表現するための言葉がなかった。
そのときの私は真っ暗闇の中にいて、ただ、彼女の介入に困惑していた。
彼女は私を腐女子ではないと定義し、お前は我々とは「違う」と繰り返し言う。けれども、一方では「お前は腐女子なのだ」と言い、「お前は腐女子なのか?」という問いにイエスと答えることを、言動の内外に強く求めていた。
それが介入でありハラスメントであり、私が困っているということ。そのことすら、当時の私には言えなかった。その真意を説明する、明確な理論がなかったからだ。彼女にノーを表明してしまうと、私の発するノーの要素は全て、腐女子そのものへのノーであり差別であり軽蔑に解釈されてしまう、そういう構造がそこには作られていた。(それが、「違う」という言葉の陥穽なのかもしれない。)
そういう帰結がしたいのではなく、私にとってその問い自体が介入でそしてどういう意味合いでノーなのかを説明しないことには、私はその問いの檻から逃れられない。その状況はとても苦痛で、ひどく息苦しいものだった。イエスともノーとも言えない、ダブルバインドに私は立たされた。そのことを、彼女は、気がついていたのだろうか?
そのとき私は、たった一言、「その問いの立て方では、答えようがない」と言えば良かったのだ。
はいと答えてもいいえと答えても、私は自分を偽り、大切なものを失う。もともと、答えようのない問いかけには、答えることができないのだ。
けれどもそんなことすら、そのときの私には思い浮かばなかった。
それほど追い詰められていた。そして無知だった。


彼女と私とでは、状況の把握が違った。
彼女は自分こそがマイノリティで、私を、腐女子というマイノリティを攻撃する敵、多数派と捉えていたと思う。けれども私には、彼女こそがマジョリティだった。トラブルが起こる前から、そう感じていた。
そんな、立場の不均衡を、ずっと感じていた。彼女は、自分が「か弱きもの」で、自らの地歩を死守するという勢いで私を攻撃してくるけれども、本当は私の方こそが脆弱なのに、と。少数という以前に、私は個であり孤だった。
権力は「状況の定義権」を握っている者のところにあるという。その意味でまさに、権力を所有しているのは彼女のほうだった。女子オタクという大状況においても、そのコミュニティという小状況においても。


多数派と少数派の権力関係について、支配や差別について、深く考えるようになったのはそれからのことだ。
腐女子というマジョリティにいた彼女には、一見多数に思える「それ以外」は実は、女性のオタクの中ではちりぢりのマイノリティに過ぎないのだということが分からなかったのかもしれない。
「それ以外」とは、自らの志向を「名指しする言葉」を持たない者の集まりだ。だから突出して多数であるところの腐女子の「男キャラと男キャラとの恋愛カップリング志向」に対置して、「〜〜ではない」という言葉で自らを表現する構造になる。否定形でしか自らの志向を言い得ないという状態は、実はとても不自由で、弱いものだ。しかも、「〜〜ではない」者たちが一枚岩かと言えば、決してそうではなく、各々の志向のもとに分散している。ちりぢりに光る宇宙塵のようなものだ。
共通認識というショートカットによらず、一から、自分の言葉で、自分の志向を説明しなければならない。それはとても労力のかかることだ。そして、自己の要請に発してではなく、外から、説明するように迫られることは、さらに負担を強いられることだ。そしてそれが、セクシュアリティに関することであったら、一体、発話者への負荷はどれほどだろう。(しかも、相手の基準で、その「是非」を裁かれるために)
この構造は、腐女子というタームが世の中で取りざたされるようになって以降、外部から腐女子に対して繰り返されてきた問いかけの構造だった。けれども腐女子というカテゴリの中でも、それと同種のことは起こる。
腐女子というタームが取りざたされ、膨大な視線が流入して以降、「腐女子」はトラブルの状態に置かれた。それはエリア内部の撹乱をもまたもたらしたのだ。私のこうむったこの体験は、私にとって、最も大きなトラブルだったのではないかと思う。


私はそれまで25年と少し生きてきて、そこまでの人生の中で、これ以上に困ったことはなかった。
このときほど強く、「どうしたらいいのかわからない」という状況に立たされたことは、
実は、それまで経験がなかったのだ。
その時私は、自分が、このエリアについて、いかに言葉を持っていないのかに気づいた。
つまり女子オタクや腐女子や、やおい、二次創作、それらとセクシャリティとの関わりについて。
それは、トラブルの相手である彼女にしてみても、同じことだった。いくら字数を費やし、また時間を費やしても、問題は堂々めぐりのままで、その状況を問い直し、俯瞰する言葉というものを持ち合わせていないのだった。
自らの「好き」を表現する言葉を持っていないこと、人の「好き」を取り扱うのに、適切な表現を身につけていないこと。それは私にとって、愕然とする気づきだった。
そして、いかにこのエリアに批評が存在していないか、「好き」と「嫌い」で動いてきた世界であるかを、実感させられたのだった。それはもしかしたら、良いことであるかもしれない。外に対して自分たちの「好き」なり、考えていることなりを説明する必要はないし、分かって頂く必要もまたないのだった。エリア内部にしてみても、角突き合せて議論をするよりも、より「好き」な方向に各々が集い、享受を深めることの方が、各人にとっては良いのかもしれない。そんな「ロス」をする時間が惜しいほど、みな夢中で忙しかったというのが、実際のところなのかもしれない。


けれども私はこのトラブルに接して、自分が言葉を持っていないということに、また相手に言葉が伝わらないということに、本当に困ってしまったのだった。
まず、相談できる友人が限られていた。オタクを知らない人間に話したところで、揉め事の本当のニュアンスは伝わらない。次に、オタクの友人の中でも、「こうもり」の肩身の狭さといおうか、やおい志向への違和感や、やりにくさを感じたことのある友人となると、さらに限られていた。志向を名指しする言葉がない、集う旗を持っていないということが、こんなに寄る辺ないものだったんだと初めて知った。


一日や二日の体験ではなく、年単位で続いてきた体験だったこともあって、
始めは、全く言葉にすることも出来なかった。誰かに話したくても、或いは問われても、
周辺的な言葉しか生み出されてこないのだった。私にとってそれは、とても重い、嫌な、経験として、鉛のように心に残っていた。
けれども、コミュニケーションの本や、セクシュアリティの本を読んでいくなかで、次第に、この体験に対応する言葉が、自分の中に蓄えられていった。
最も大きな示唆を与えたのは、掛札悠子「『レズビアン』である、ということ」という評論である。
そこには、女性のエリアにある人間が、そのセクシャリティにおいて、外部から名づけられること、また、その名づけと自己を対置させて咀嚼し、自らもう一度自己を定義すること、さらに、その名づけで自ら「名乗る」こと、外から「名乗らされる」こと、その過程と痛みが(痛みという言葉などでは足りないような痛みが)、克明に記されてある。
腐女子をめぐるトラブルは実は、女性のセクシャリティをめぐる問題であること、
そして、そこに権力の構造が関わっていることを、この本の示唆を得て私は知った。
腐女子」とは「セクシャリティ」である、という自分の論理も、そのプロセスのなから生まれてきたものだ。
腐女子という言葉がまだ世の中にない時代に書かれ、徹底して「レズビアン」という自己をめぐる問題について思索する評論だが、そこには、私の体験した悩みや痛み、ほしかった言葉が、おどろくほど、くっきりと描かれていた。なぜここに私のことが書いてあるのだろう、というぐらいに。
私は、彼女に「名乗らされる」ことが嫌だったのだ。自らの定義によってではなく、彼女の定義で自分を「名乗らされる」ことが嫌だった。まるで自分で名乗ったかのような文脈を負いながら、その実、彼女の定義に回収されていくこと、それを強いられていることが、どうしても嫌だったのだ。



それが言葉になるまでに年単位の時間がかかり、いまでも、そのときの体験は塊のまま残り、
自分の中で、憎しみや悲しみの炎を上げたりする。
それが「嫌だった」という思いは、今も動かず、変ることはない。
けれども、そうしなければ生きてはいけなかったのだとしても、これまでのプロセスから言葉を獲得しえたということは、たったひとつ、良かったと思っている。
このまま、自分にとってとても大切なことを、暗がりのまま、言葉に出来ないままで、他人に説明も比喩表現もできないままで、それで良かったとは、とても思えない。
今の状態のままあのときに戻れたらこんなことにはならなかったのだろうか? と、時々考える。
けれどもそれは詮無い疑問だし、それに、一度完全にその枠組みから外に出てみることが、私には必要だったのかもしれない。そうしなければ、見えず、また、つかみえない言葉だったのかもしれない。



オタクとの仲は得がたい仲だと思う。
それを、不慮のことで壊してしまわないために、あるいは有事に適切なコミュニケーションができるように、そのための訓練だったと思えば、意味のある道程だったのかもしれない。
自分のコミュニケーションが、それまで、メールとネットを無意識に第一義として選択していたことも、そのときにならなければ気がつかなかった。何もかもを、メールで言えると思っていた。メールで来たら、メールで返さなければいけないと思っていた。けれどもメールは決して万能ではないし、物事が込み入っていればいるほど、また、否定や批判、疑義などマイナスのベクトルが強ければ強いほど、むしろ関係を阻害する、致命傷になりうることに、その経験がなければ、私は、ずっと気がつかなかったと思う。


今の自分が、コミュニケーションが得意になったとは思えない。
けれども、あのときの情けなかった自分より、少しマシにはなれたんだと考えて、筆をおくこととしたい。
繰り返しになるが、オタク友達との縁は得がたいものだ。
萌えの実のない人生なんて。とても、むなしいものだ。