11月25日の記事について

こんばんは、森井です。
思わぬところに記事が拾われて、ここ数日ほんとにびっくりしてました。
コメントをはじめ、さまざまな共感、意見、異見などご反応をいただき、
ありがたく、また興味深く拝見させて頂きました。
どうもありがとうございました。




コメント「通りすがり2」さんのおっしゃることはとても良く分ります。
私も、当事者が言葉を発すること、その言葉を得て、
また新たに言葉が獲得されることには意味があると思っています。
そう思えばこそ、この「ブーム」の煩わしさや不愉快さについても、
過渡期なんだと思って我慢してきた部分がありました。


ただ、外からの求めや詮索に対して当事者が懸命にしゃべる言葉が、
いったいどう受けとめられていくのか。その行方に疑問を感じています。
懸命に話す言葉は、実は、「外」の文脈に収奪されているのではないか?
そもそも、なぜ、外からの求めに応じなければならないのか?
そういう疑問が、ずっとありました。
これまでも、腐女子については結構な量の言説が費やされてきたと思います。
しかしそれが、本当に当事者に資するものになっているのだろうか?
当事者にとっての「核」の部分は、伝わっていないのではないだろうか? と、
私は、先だっての「まんだらけ」での光景から、つくづくと考えされた次第です。


「分って」そして「分からせて」どうするのだろう、と私は書きまして、
それは「外野が分かって、そして外野に分からせてどうするのだろう」という疑義を
言いたかった部分です。
主客について言葉足らずになってしまいました。
本当に「腐女子」エリアを必要とする当事者が、それについて「分かり」、
また言葉を発することには、多大な意味があると思っています。
腐女子は恥ずかしい趣味だから引っ込んでいるべき、黙っているべき、とは思っていません。
その表出の仕方が、今は「トラブル」の状態にあるのではないかと感じています。
外からの詮索に奪われていく言葉ではなく、当事者のための言説のやり取りが
もっと活発になっていけばいいと考えます。
よしながふみさんの対談は私も興味深く読みました。とても、濃い内容だと感じました。


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最後になりましたが、
web拍手で共感を伝えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
メッセージにも、「ポチッ」と押してくださった気持にも、励まされました。
深く御礼を申し上げます。