奥付に、印刷所名を入れますか?

どうも今晩は、森井です。
あの。
同人誌の奥付に印刷所の名前って、ふつうに入っていると思っていたんですけど、
最近は、そうでもないんですね??


え。わたしったら、オールディーズ、なの?
いやその、昔は(っていっても最近のような気がしてるけど!)、
けっこう皆さん普通に入れてたと思うんですよ。
そりゃ全部の同人誌を読んでたわけじゃないけれど、
大きいところ、小さいところを問わず、奥付に書いてあったと思う・・・


わたし実は、その「印刷所の名前」を見るのが、非常に楽しみでありまして。
好きで、作家買いしていた書き手さんにつきましては、
印刷所の名前もセットで出てきますよ・・・!
あの人はホープ21、あの人は緑陽社、あの人はトム出版、あの人は西村謄写堂・・・ とか。
本を出すときはこの人とおなじ印刷所から出すんだわ、なんて、まじめに思っていた時もあった。
若かったんだわねーーー!!!!


でも実は、いまでも、それほど、マインドが変わらない。さすがに記念受験(笑)的な「あの人とおなじところから…!」的な気持は遠くなったけど、
ああ、好きだなあ… と感じ入るような同人誌に会ったときには、その印刷所も一緒に、ポイントが高くなるというか、イメージがアップするもの。
かつての同人界がもりあがっていた時代には、印刷所の側にとっても、「大手のサークルが自分のところの名を刷り込んで本を出す」ということは、真剣に大きなことだったんだよなあと。いま、しみじみと思う次第です。


その昔の話になりますけども、往時、大手サークルの半プロ(デビューはしたが、軸足はまだ同人)の書き手さんの本なんかには、往々にして「忙しすぎて(※商業誌の原稿で忙しいのだが、なぜか、明確にはそう書かないことが常)、この本が出るかどうかぎりぎり」「○○さん(※印刷所さん)いつもごめんなさい」「いま、新幹線の中でネーム貼ってます(※宅配便も間に合わず、持参して直接入稿)」などの、ライブ感あふれるギリギリ・トークが載っていて。「印刷所さん」を、なにか非常に身近に感じさせられたりしたものでした。私が読んでた本は、莫大な量の中の一握りだけれど、きっと、同時多発的にそういうケースが起こっていたのではないかと思います。
印刷所の「社長」のキャラクターとか、書き手さんのトークを通じて、妙に、印象に残ってますもの。いまだに。


えっと、ちょっと前の世代(とか言って恐縮なんですけど)の方々はきっと、自分の好きだった作家さんの使ってた印刷所は、きっと、そらで言えますよね。誰さんはどこそこ、って、データとしてストックされてますよね?(笑)


でも、このほどめっきり、「奥付に印刷所を載せる」って、減りましたよね。
減ってませんか?
なんなら、サークル名すら、「どれがサークル名なんじゃい?」みたいな。
こう、かっちょよくサイト名をあしらって、「以上」みたいな。
相当探さないと、執筆者の名前が、見つからないことだってあるし。
私は中古同人誌屋に行くのが好きなんですけど、歴代の本て、うっとうしいくらいに、「この本はこういう本ですよ!!!!!」って主張してるのね。大きく、「□□×△△ FAN BOOK」とか。(念のため、けなしているわけじゃないです。)  今も、それ、確かにある。でも! どうもこれ、今はもう、ひょっとして、少数派ですよね。


東京に出てきてこっち、十年近く、ふらりと中古同人誌を見に行くのを繰り返しているわけですが。も、年を追うごとに、本がオサレになってきてますよね。PCの普及って、すげえよ…! と、時々、圧倒されるわけですよ。池袋のまんだらけの、ガラスケースの中なんか、すごいもん。なんてセンス…!(勿論、いい意味で) って、びっくりさせられるような表紙絵がたくさんあるもん。本気に、日本の若い年齢層の女性における、イラスト作成能力の高さといったら、とんでもないものがありますよ。間違いなく世界一だと思う。もしオリンピックがあったら(何の・笑)、確実に金メダル。この洗練の高さ、恐ろしいものがあるよ。ジャパニメーションとか言ってますけど、本当は、真にすごいのって、こういうところだと思う。このくらい描ける人たちが、プロにもいかず、雨にも負けず、コミケで出し続けて… って、なんか、本当にものすごいと思う。


で、確実に絵やデザインのスキルは上がっていて、当節の本の格好よさっていったら、すごい水準になっていますよね。何も、大手に限らず。言葉は失礼だけど、ずーっとなだらかに広がっている「裾野」での水準すら、すでにデフォルトで高レベルだっていうのが、一番すごいと思う。文化ってこういうことなんだ、と、いつも、しみじみと思うわけです。
商業印刷の世界の人から見たら「はあ?」ということもあるそうですが(私も出版にいましたが、商業は人・もの・金ともに、桁が全然違いますので)、そうでないアマの世界で言ったら、もう十二分のクオリティだと思います。


で、なにが言いたいかというと、そうやって本がどんどんオシャレになって、洗練されて、それはすばらしい。勿論すばらしいんだけど、なんだかさびしい――と、思うことがあるのもまた事実です。事実というか、私個人の感慨であります。
「この本」の所在というか。誰が、どんなテーマ(CPとか、「誰それ本」とか)で、この本を作ったのか。その本の向こうに「誰」が立っているのか。その足跡が、どんどんと、きれいに消されつつある気がするのは、私だけでしょうか。そんな流れというか、空気というかを、感じています。
その昔だって、同人誌はきっと、隠れて出すもの、リアルの自分を隠して出すものであったことは疑いがありません。しかし、そう言いつつも隠しながらも、そこには、「リアルよりもっとリアルなわたし」が、炸裂していたのではないか、と思うのでした。誤解を招きそうですが、今の本が「薄い」とか「熱気が足りない」とかそういう話ではないです。そういう不等号の話ではないし、当節の本にだって、書き手の「わたし」は、ほとばしっているのだと思います。けれども、その「わたし」の現れ方の、「なまっぽさ」みたいなものが、大きく変質していっている(おおよそ変質してしまった)のではないかと、思います。


摂取する創作物のみならず、それを包括する社会や、人々の生活態度すら、洗練され、情報化のもとにコード化、システム化が進み、すべてが「特別」ではなくなり、あらゆるものが「いつか見たことのあるようなもの」として目の前にひしめきあっている今において、同人誌の場もまた、そうした「いま」にリンケージしているんだな、ひとつのリトマスとして、ある「空気」を、指標しているんだな、と、思います。


奥付には、タイトルと日付と、サイトのURL。サークル名、ペンネーム、メールアドレス。
このくらいは載っているのが普通のようで、でも、わりかし、どれかが欠けていることも多い。
なんだか、奥付にかかる重さがとみに薄くなってきているような気がして、往時はここに住所すら載っていたこともあったなんて、今ではにわかに、信じられないような思いです。
不思議なもので、作り手がこの「奥付」にどのくらい比重を置いているか、どういう意識を振り向けているか、読んでいると、なんとなくわかる気がします。分るものです、と書いてしまう。僭越ながら。
それは、本全体のセンスとか「いまっぽさ」、アカ抜け方とはまた別軸で、今っぽいかっこいい絵柄だったり、なんとなくわがままな作り方をしていても、奥付が「ビシッとしている」というか、礼儀正しかったりして、そういう折り目正しさに触れると、ああ、この人は、同人の長い人なんだろうなあ… と思う。描いたものから受け取る、年齢の雰囲気等々とは、また別の問題として。


そういうトラディショナルな奥付であっても、なお、印刷所名の記載というのは、消えていく方向にあるようで。
どう言える筋合いでもないけれど、でも、できれば、印刷所の名前も、奥付に入れてほしい。
どうしてそんなに、って言われても、困るけど…(笑)  私にとって、それは、大きな楽しみなのです。