プラダを着た悪魔



見てきました!

いや、も、超ーーーーー、面白かったですよっ!!!


この映画、存在を知った瞬間から、
「これは、見なければいけない映画だわ」と思ってて(笑)
本日、S先輩と観に行ってきましたよ。
日々、「アシダ(※ジュン・アシダ)を着た悪魔」に虐げられし我々、
これは、ぜひ、どんな悪魔なのかを見せていただきたいと…!(笑)
でも、
「きっと、言うほど悪魔じゃない
「てか、めちゃカッコいいと思う」
とこう、妥当な判断も入りつつ(笑) ウキウキで観賞したわけです。


で。
映画ですけれども。



もうね、泣いた…!!!!!


ミランダ(※メリル・ストリープ)が、最高!!!
本当に、やられました。
惚れた。
「しびれる」とはこのことだなと。


「悪魔」っていうけど、別に、全然、「悪魔」じゃあないような…??
いや、確かに、「悪魔」なのか…? でも、それならそれで、いいじゃん。悪魔ばんざい! みたいな気持になった。
ミランダを見るだけでも1800円払った甲斐があります。



(ここから、相当、映画の内容に触れてます)





ミランダというのは、「RUNWAY」という老舗ファッション誌のカリスマ編集長で、彼女のアシスタントの仕事というのは、「何百万人もが憧れている仕事」なわけです。誰かが辞めても、「五分で代わりはみつかる。それも、喜んで働く子が」というくらいの。
で、なぜかその仕事に、成績は超優秀なんだけれどもジャーナリスト志望で、ファッションには関心ゼロの主人公「アンディ」が採用されてしまうと。
で、アンディは、「悪魔」ことミランダに、むちゃくちゃこき使われていくわけですが。


観て、言うほど「悪魔」じゃないって思ったのは、確かにミランダの言動は「え!」って思わせるし、かなりスレスレなんだけれど(主人公の彼氏に「いかれ女」って評されたり)、でも、多分間違ったことは言っていないなというところ。
ハリー・ポッターの、発表前の原稿を手に入れてこい(うちの双子のために)」っていうのだって、なんかいじめっぽいし公私混同っぽいしスレスレなんだけれど、でも、「自分が死ぬほど忙しくて、とてもそんなことをしている時間がないから」っていうふうにもとれる。なんとなく、「気持は分かる」わけです。「15分後にステーキ食べたい」って言われて、アンディは必死こいてステーキをテイクアウトしてくるわけですが、帰ってくると、「いらないわ。会長とランチなの」って言われる。「はぁー!?」って思うけど、でも、会長とランチなら、しょうがないじゃん…って思える。そういうふうに、かなりひどいけど、でも、ミランダなりに理由がある。それがアンディのメンタルに「グサッ」とくるときもあるけれど、ミランダの立場になって裏返してみたら、「まあ…しょうがない…か…?」みたいな。そうやって「ひどいけど、まあ、しょうがないか…?」って思えるのは、ひとえに、そのミランダの横暴が、「ミランダのビジネス(イコール雑誌全ての運命)を十全に回すため」という目的に裏づけられているから。だから、観ていて爽快だし、「アンディ大変…」と思いながらも、ミランダを憎めない。
ミランダが「悪魔」だったら、悪魔って、随分いいなあ… と思ってしまうくらい。
全然悪魔じゃないじゃんね…と思ってしまうのは、こういうところ。
こういう「横暴」だったら、しんどいけど、なんとかなる。
でも、苛めるためだけの「いじめ」とか、悪意のこもった小突き回しとか罵声とか、本当に我慢できないものっていうのはそういうものだよな…と、映画を見てて改めて思ったわ。
ミランダの行動っていうのはそういうところがなくて、とにかく、忙しくて忙しすぎて、仕事のプラスにならないようなことに時間を割こうという意識が全くない。そこが物凄く爽快で、見ていて美しかった。「気に食わない→クビ」っていうのはあるけれど、それで、おしまい。それ以上、気に食わないヒトを追い出そうとしたりとか、いびり続けたりとか、そんなことはありえない。なぜなら、気にくわないもの・自分が許せないものは、いらないし、見えないものだから。その高潔さがものすごく格好よかった。底意地は悪いけど…!(笑)


最初の方、主人公のアンディが、ファッションのことが分からないのに余計なことを言ってしまて、その言葉を、ミランダに皮肉られる場面がある。
スタッフが集まって雑誌に載せる衣装を決めていて、ミランダが、2本の水色のベルトを前に、どちらを合わせようか真剣に思案している。そのときについ、アンディが笑いをもらしてしまう。
「なにがおかしいの…?」って、真顔で尋ねるミランダ。
「すみません…私はただ…」照れ笑いをするアンディ。「その2本のベルトの、どこが違うのかが分かりません」
ファッションに興味皆無なアンディが、つまり、「似たような水色の2本のベルトの、どっちを選ぶか?」に必死になっている全員の情熱を、ばかにしてしまう。
そこでミランダが、アンディに言う。
「違いが分からない。そうでしょうね。クローゼットの中から、そのダサい水色のセーターを選んだ」
アンディはその日、水色のセーターを着ていたわけです。しかも野暮ったい。
黙り込むアンディにミランダが続ける。
「でも、あなたが着ているその色は、ブルーでもターコイズでもない、セルリアンよ。セルリアンは……」
そして、「セルリアン」という色味について、200×年にデザイナー誰それがセルリアンを使い、それが流行になり、世界に広がって、そしてセール品にまでなって、あなたが購入することになったと。そして、あなたが着ているその「セルリアン」を最初に選んだのは我々(RUNWAY誌)なんだと、ミランダは、アンディに向かって言うわけです。
この「セルリアンよ」が、衝撃的だった…!
アンディは、ただの「水色」ってしか思ってない。水色の中にさらに種類があることも思わず、自分が着ているのが「セルリアン」だということも意識しない。でも、自分たちは、その僅かな差、「セルリアン」だということに命を賭けているんだ、ということを、ただの新米のアシスタントに向かって、ミランダが、決然と言い放つ。


で、アンディは、「人を不快にしなければ気がすまない人よ。もう、辞めてやる!」って彼氏に言うんだけど。気持分かるんだけど、でも、これって、ミランダが、教えてくれてるわけよね。(ムカついたから言った、っていうのが実際なんだろうけど。でも。) 本当だったら、「場違い→クビ」にもなるようなところを、軽蔑して無視するわけでさえなく、死ぬほど忙しい仕事の間に、アンディに、ファッションとは何か、モードの流れとはどういうものかを、教えてくれたわけで、それはとんでもないラッキーというか、なんというか。
そんなわけで、この場面がすごく好きです。


後のほうで出てくるんだけど、ミランダは一回離婚してて、今度もまた離婚しそうな雰囲気。
そんで、この段階ではかなり意思が通じてきたアンディを前に、
「今度もまた、週刊誌に、『仕事に突き進む猛女』って書かれる」ってぽつりと言うわけ。
「自分が何て書かれようとも平気だ、でも、子供達がかわいそうだ」って言う。
ここでもう、ブワ…ッ! と、涙が…!!!!!
言葉にならない哀感が衝き上げたわ…!!!
ミランダが! ミランダが、もう…!


仕事の鬼で何が悪いのーーー!!!??? って、
私、全力で、心の中で叫んだわ。


ここのミランダが、すっぴんなのが、本当にいいんですよね。たまらないの…! 
いつもばっちり化粧しているんだけれど、ここは、素顔の、皺とか肌とかも、ありのままの顔なんですよ。
ここ泣いた…! で、素顔なんだけど、化粧をした「美しい顔」とは違うものなんだけど、でも、なんともいえず、「いい」んですよ。うまくいえないんだけど、どこか弱々しいというか、でも弱いだけじゃなくて、とにかく、心をグッと掴まれる何かがある。(単に、女優で素の顔がきれいだ、ってことじゃなくて)
ああ、女性の美しさってなんなんだろうか、って、すごく思ったわ。
この美しさっていうのは、男には絶対にないものだと思う。
たとえば、初老の、バリバリの男の経営者がふっと素顔を見せたからといって、この情感というか哀感というかは、決して滲み出てはこないと思う。
バリバリに仕事と闘い、世の中と闘ってきた初老の、女性が、疲れきったときに見せる素の顔というのか。そこには、こっちを、グッと打ちのめさずにはおかない何かが、ある。
あまり例に出したくもないんだけど、くだんのパワハラ上司、あの人が徹夜明けとかに、化粧も落ちきってしまって疲れきってる、あの顔なんかを、ものすごく思い出した。日頃すごくお洒落で、バリッと化粧もしているだけに、なにか、うたれるものがあって。うまく言えないけど。


年をとっていて疲れ切っていて化粧もとれてしまって…という女性の顔、それは男の世の中で言うところの「美」じゃないんだろうし、当人だって、自分のその状態での顔が、「美しい」だなんて思いはしないだろう。
でも、私は、その顔もすごく、いい。
美しいと思う。
女のこういう局面の、こういう顔だって、もっと評価されてよ、って思う。
これを美しいと言わなかったら、いったい何を美しいっていうんだろう? くらいに思う。それを美と言わないなら、美の基準が変わるべきだろうと思う。
男だったら、こういうときの「味」とか「かっこよさ」とかは、有りだろうなと思う。すごく単純に。
でも、女だってそうだ。女にだって、それは、「有り」だよって思う。

そんなことを、感じた映画でした。