「女4人」というマジック――ドラマ「SCANDAL」開幕

TBSの日曜夜9時枠で始まった新ドラマ「SCANDAL」
鈴木京香さんの久々のドラマ(ですよね?)なので、超〜楽しみにしていました。
そればかりでなく、どうも、私は「女4人」という形式が、妙に好きらしい。
この、安定感というか、魅力ってなんなんだろうなー、と、最近考えている。
映画からド嵌りした「SATC」もそうだし(今更嵌っててスミマセン)、前クールにテレ朝でやっていた「四つの嘘」も本当に面白かった。出張先のホテルで第一回を見て、「なんじゃこりゃあ…!」とばかりにはまってしまい、主に永作博美見たさで見続けてましたが、毎回「うむむむむ…」とうならされて終わるという。原作は、脚本の大石静自身の新聞小説ということを知って、小説も買って読み、これもまた面白かった。3回くらい読んだ。
さらに、ちょっと以前の話ですが、桐野夏生「OUT」も本気にズシンと来て、小説はラストでコケた感が否めないものの、映画は、最後までマーベラス面白かった。原田美枝子倍賞美津子室井滋西田尚美ですよ。この4人を見てるだけでも面白かった、
ちなみに、テレ朝の「四つの嘘」の方は、永作博美高島礼子寺島しのぶ羽田美智子(※故人として登場)
どうも、4人のタイプの違う女の、それぞれの性格なり、生き方のクセだったりを、「面白い」と感じているんじゃないのかな、と思う。さらに、普通だったら接点もないし協力もしないような、くせのある女四人が、なぜだか「一緒に」何かをする羽目になってしまう筋書きの面白さもそうだし。
さらには、それぞれのファッションを観察するもの楽しみだったりして、なんというか、「総合情報番組」という感じなのだ。私にとって。


さて、今日から始まった、ドラマ「SCANDAL」
見てみると、非常ーーーーに、胃が痛くなるような第1回だった。
四人の主人公が性格が違いすぎて、クセがありすぎて、おまけに協調性があんまりなくて、のっけから仲が悪すぎ、寝起きで見た私には「こ、これは、第2回は見られないかもしれない…!」と思わせるような「夢のなさ」。ああでも、これが現実ヨネー。とも思う。
だって、「SATC」は確かに面白すぎるほど面白いけど、あれを見て感じる、素朴な疑問。
女4人でこんなに仲いいって、ありえるの?
というクエスチョンに、ある種、回答しているようなテイストだなあと思った。
思うに、「SATC」は、都会生活者の豊富な恋愛やセックスや、ファッション、ライフスタイルなんかが「女の憧れ」に訴えていると言われるけれど、それはもちろん一つの要素ではあるのだが、
もしかして、一番、女の心にアピールしているのは、「まるで、もうひとつの家族のような女4人」という、この結束力なのかもしれない。
女だったら誰でも知っている。女と、しかも多人数の女と同時に付き合っていくのは、じつは物凄く大変だということを。一対一ならいざ知らず、複数人の「女同士」というまとまりが、いかに脆いものかということを。それぞれの属している、社会的、あるいは恋愛的な「階層」を越えて付き合い続けていくのは難しい。それに、多人数と同等につきあう、というケースはあまりなくて、おおかた、4人なら4人の中で、仲のいい2人同士、というのが生まれていくのが普通と思う。
でも、「SATC」にはそういうところはあんまりなくて、キャリーを軸に、気持ちのいい付き合いが続いていくのだった。困難が訪れても、4人いるから、分散し、相対化しあえる。三人だったら、例えばミランダに子供が出来たとき、シャーロットとの軋轢を乗り越えられなかったかもしれない。また「OUT」でも、早くに決裂してしまって、目的を遂行できなかったかもしれない。


そんなふうに、女と、4人、という数とは、何か面白い構造を持っているのではないかと思うのだった。
古くから、数には、長い時間をかけて形成されてきた作用なり、ある意味、真理のようなものが宿っている。
たとえば、2なら、対。陰陽だったり、或いは表と裏、信と偽といったように、二つで一つ、という意味合いがある。(やおいカップリングが全盛するのは、その二人で一つな感じがいいからだ、と思う。)
3なら、三位一体といったような、真理を体現したり、あるいは、真善美というような三原則を表象するのと同時に、対にはなりえない、不安定さを表しもする。なんといっても「三角関係」だし、シナリオなどでは、二人芝居は退屈、三人芝居を書け、と言われたりもして、人間ドラマの基本というべき数のようだ。
3に限らず、人を出すときは奇数がいい、というのも言われる。二人組よりは三人組。四人組よりは五人組。時代をさかのぼると、○○五人衆、なんて例はたくさんあるし、現代だと男女七人夏物語なんかもその例だ。二人の組になれない、絶対に端数が出てしまうところが、状況を動かし、感情を動かし、ドラマにつながっていくということである。

その伝でいくと、「4」という数は、2・2になってしまい、奇数の法則には入らない。ドラマ作りの原則からは外れそうに見えるが、しかし、「女」という数が加わった場合に、4という数は、絶妙のバランスを見せる。ここで、男4人だったら、と考えてみても、あまりパッとする気がしないから不思議なものだ。
4という数は、どういう数だろうと考えてみた。東西南北だったり、春夏秋冬だったり、「それぞれが、それぞれである」という要素が大きいようにも感じる。けれども、さすが2・2の数だからなのかどうなのか、独特の安定感もまた持ち合わせているようだ。同じ偶数でも、ふたつでひとつ、の2以上に安定して感じる。それは、例えば裏と表といった二つの要素では、どうも世界を説明しきれないと、年を追うごとに感じていく、人生実感のゆえんだろうか?
また、4という数は、「四天王」の数である。そう考えると、「女4人ドラマ」の不思議な魅力も、安定感にも、どこかうなずける気がするのだった。それぞれが特徴を持ち、自分の領土を持ち、けれども、火急の時には、ひとつに駆けつけもする。ばらばらだが、ひとつの何かで、ゆるやかに結ばれている。
そんな4という要素が、「4人の女がいる」という形式の不思議さ、魅力にも、つながっているのではないかと思う。

それから、このたび、考える過程で個人的に思い出したのが、そういえば私は、昔から、「四天王」という存在が異様に好きだったなあ、という思い出である。双璧よりも、三役よりも、どうしてか「四天王」が好きだったなあ、とかつての自分を思い、小学生くらいのとき、辞典で四天王の名前をひいてはため息をついていたことなど思い返すと、自分が、女四人のドラマにひきつけられる理由も、自分の中で、説明がついてくるのだった。
4という数の絶妙さ、これは普遍と思うが、それと同時に私自身の持つフェティシズム(笑)も手伝っていたのだと思うと、なんだか、可笑しみがこみあげてくるのだった。自分の嵌り具合をかんがみて、「だからなのか」と笑ってしまう。三つ子の魂百まで、というのは、本当なんですね。