深くて長い河がある


さて、よく、同人(※二次創作のこと)を語る際に「受け攻めはどっちでもいい。面白ければいい」とかの、「どっちでもいい言説」があるじゃないですか。「攻受の無化言説」とか。
やや迂回して私の話をすると、
私は「キャラ食い」をするタイプの人間で、とにかく、「そこにそのキャラがいれば何でも!」という嗜好でこれまでやって来ました。それはずっと変らなくてこれからも変らないと思う。例えばお馴染の「L」ですが、それこそ、そこにLがいれば何でも。L月・月L・L松・Lミサ、などなど男男CPも男女CPも漁りに行くし、ドリーム小説にも行く。ゾロのときも照のときも、今回の鰤市でも、だいたい前述の通りです。
で、そうやって渉猟して、思うのは、
やっぱり、どっちでもよくはねえよなあ、という。
自分も「それが面白ければいい」というのは言ってるし、それはほんとにそうなんです。面白いものが好きだしリスペクトする。
けども、それとはまたちょっと別の次元のことで、
やっぱ、「どっちでもいい」ってことは、ないんですよ。少なくとも、わが同人ライフにとっては。


やっぱり、「ゾロサン」のゾロと、「サンゾロ」のゾロとの間には、画然と違いがあると思う。つか殆ど、別人。ゾロナミとナミゾロでもそう。
そこにやっぱり、限りなく深くて長い河がある。
終生、対岸に渡り合うことができないかもしれないぐらいの。
やおいとかBL、腐とかが市民権(?)を得て、言説が蓄積してくると、他社会からの攻撃に対する反論としての「受け攻めという表面で騒いでるんじゃなくて、もっと深いところの問題だ」という言説が、進んで、「すでに受け攻めの問題ではない」というような、ある種洗練(?)されたふうな、昇華したかのような言説になっていってる気がするんだけど。
やっぱり、結局は、「受け攻め」の問題なんじゃないのかな、と思う。
「A×B」とか「AB」とか「BA」とかの。



ここで、「受け攻め」ということを、単に「挿す/挿される」の指標の話だと思ってもらうと困るわけです。「受け攻め」という言葉で代表させるけれども、「A×B」や「AB」のラベリングは「それ」だけの話ではないし、それだけでは捉えられないものだ。
「A×B」とか「AB」と表記して、パロディのスタンスを明示するときに、単純な「挿す/挿される」の役割分担だけを問題にしてるわけじゃない。それも大事だけど、それを上回るものに包括される、ひとつのこと。逆に言えば、全体の中での、ひとつの事象。そしてそれが、全体を象徴するものとして機能する。それに「ビッ!」と反応して、我々は(ていうか私は)、自分の求めるものを探り当てている。
「受け攻め」ないし「A×B」「AB」という括りが単に「挿す/挿される」の指標だけではないことは、男女CPの場からも明らかになると思う。この場合、役割分担は物理的におおむね決まっているわけで、単に「挿す/挿される」だけの問題だったら、Aが男キャラ・Bが女子キャラだった場合、表記はすべて「AB」になるはず。でも、そうはなってない。現実に、決してそうなってはおらず、「BA」、女×男を掲げる書き手が確実に、少なくはない数で存在しているわけです。今まで男女のCPを見てきた中で、「BA」、女×男と表記するカプでも、女子がペニバンをつけてタチに回るというケースは一度も見たことがない。猛者にめぐり合っていないだけだと思いますが、きっと極少数派だと思います。どのパロも、行為に際しては即物的には、ペネトレイトは男子。一般的な分担が行われています。けれど、書き手は「BA」を掲げる。そしてそれは、「AB」のパロと、スタンスは全く違う。単に、「挿す/挿される」役割の問題では、ないわけです。男女カプでも、男男カプでも。



では、一体、何の問題なのか。
それは多分、二者の力関係の問題、
そして、もっと言えば、「そのキャラクターの理解」の問題だと思う。どんなふうにそのキャラを理解しているか。そのキャラをどう捉えているのか。どんな風に見えているか。どう見たいのか。どう扱いたいのか。
その各々の理解の上に立って、例えば中心となるキャラAと(二者が等価だということはまずなくて、やはりどちらかに主眼があるもの)、それに絡むキャラBとの関係が組み上げられていくわけで、その理解、解釈、脚色・捏造・欲望、そういうものが見たい。我々が、と言って悪ければ私がほしいのはそれで、自分と共鳴する「それ」を、ものすごく求めてるし、飢えている。
その傾向、スタンスを象徴するものが「受け攻め」、「A×B」「AB」「BA」だと思う。


面白いのは、例えば「サンゾロ」と「ゾロサン」の場合、登場するのは同じサンジとゾロだけど、
「中心となるキャラA」がサンジかゾロかでまるっきり中身は変ってくるし、さらに、そのAが「AB」の前に回るか後ろになるかで、またも、まったく別物になっていくという。

 甲)サンジ中心の サンゾロ
 乙)サンジ中心の ゾロサン
 丙)ゾロ中心の  ゾロサン
 丁)ゾロ中心の  サンゾロ

この四種が存在するわけで、今まで冗談で「順列(ABとBAを区別するから)」とか言ってたけど、さらに「誰メインなのか」が加わる、複雑な計算だったんですね(笑) 今気づいた(笑)
で、この四種では、乙)と 丁)、

 乙)サンジ中心の ゾロサン
 丁)ゾロ中心の  サンゾロ

が、サンゾロ・ゾロサン界のメインストリームであるようです。
で、わたくし一個人としましては、
丁)の「ゾロメインのサンゾロ」が、ゾロの一番美しい姿が体現されていると思うわけなのであります。私の場合はゾロが愛でられるポジションだというのが重要で、相手は必ずしもサンジでなくともいいという。「ゾロメインのナミゾロ」これもまた、たまらないものがありますし、シャンゾロもグレイトだと思います。
本当に星の数ほどの「ゾロが受け」のテキストはあって、その中で合う・合わないが勿論ある。だけど、やっぱり、そこに存在する或るテイスト、傾向にはどこかしら通ずるものがあり(無論例外はあります)、それにシンパシーを覚える率が高い。それは、ゾロを受ポジションに置きたいというキャラ理解、キャラ解釈が、自分と通じるということで、「受け攻め」ということはつまり、そういうことなんじゃないのかと。


一人の書き手の中に「AB」も「BA」もあるケースとか、リバがいいと思っているケースとか、いろいろあると思うんだけれど、だからって「受け攻めとはどうでもいい問題だ」っていうことには、なかなかならないんじゃないかなと思う。どうでもいいこと、にしちゃうと、とりこぼれる事柄があまりにも多いような。
「受け」「攻め」という言い方が、その理解を「『挿す/挿される』の問題」にしてしまうんだろうか。
たぶん、これらの語から受け取るイメージも、人によってものすごくばらばらなんだと思うし。
ただ、「受け攻め」という言葉やその言い方、使われ方はもっと深化して捉えられていいはずだし、必ずしも即物的な「挿す/挿される」の役割分担だけを示すわけじゃないということを、分ってもらってもいいと思う。
あと、「攻め受け」といわない言い方、
たとえば「L月」とか「月L」とか、関係する二者をくっつけて言う言い方。これも、これこそ、もっと広い分析と解釈を必要としているように思う。受け攻め表記の、例えば「L×月」からのただのスライドのようでいて、実際は、もっと多様な意味が付加されているような気がする。


単に私の場合を言えば、自分がパロをする際、二者「AB」にエロがないのはアリだけど、「A」「B」の順番が入れ替わるのはナシで、それは自分にとってはほぼありえない。やっぱり、気持の方向とか、優位・下位とかが関わっていて、そこは動かせないなあと思う。
ブリーチの浮竹と京楽だったら、この二人は親友でほぼ等量のベクトルがあるんだけれども、やっぱり、わたし的には京浮。けど京楽が優位ってことでもない。すわラブってことでもない。じゃあなんなんだろうー、と思うけど、それは、それこそ、自らが語り起こして明確にしていくべき要素だと思う。。
L局は絶対「L局」で、「局L」はありえない。(Lかわいそう!) Lの、局長に対する思いが(注・森井の想定している「思い」が(笑))、常に、局長のLに対する思いより大きいところがポイントなので、そうなる。
おう、今書いていて思ったけど、「より大きく包み込もうとしてる方」が、前に来る場合が多いのかも、私の場合。
じゃあ「神照」はなんなんだ。全然包み込んでないわけですが(笑)、これはあれか、神が、天のように巨大な抑圧をしてるから(笑)。
名前をくっつけて書くときにも、中に内訳があって、「京浮」は「京‐浮」、「L局」は「L→局」、「神照」は「神←照」だなあと思う。自分の中で。
きっと、皆それぞれに色んなルールの下に「AB」表記を使ってるんだと思うし、「ABA」とか「BAB」てのもあるし、最近「×」を見ない気もするし、色々面白いなあと思う。