ゲド戦記

(ネタバレですよー)



♪こーころを何にたとえよぉ〜  って、
本当に、見に行ったこの心を、何にたとえればいいのか。 どうも今晩はモリイです。


ちょっと前に見に行ってきましたゲド戦記
水曜日を見計らって、S先輩と、地獄城(※会社)から決死の脱出行です。いやそれ、ただの退社だから(笑) なぜに、単なる「おつかれさまでした〜」が、こうも心ちぢみあがるミッションになってしまうのか! 
それにしても、無事、水曜日に帰れてよかったです。しかも、見る前に一杯ひっかける余裕まであったぜ。水曜の夜の回だったのに客席には結構ゆとりがあって、おっ、余裕じゃ〜ん? と賑々しく席に腰かけるアホ二人。モリイはすっかりホロ酔い、先輩はやたらなハイテンション。予告編に「デスノート・後編」が登場し、ひそやかに盛り上がるデスノの民…!
「せんぱい!これ!これです!!」
「えっ…! ミサかわい〜ー!
藤原くんの「キラじゃないって言ってるだろ!」の絶叫が耳に残り、なんとも幸せな気分になりました。



さてそして始まる、映画「ゲド戦記」…!



最後

テーハーヌー!!!

呆然。
もうね、これに尽きるね…!
ていうかこれで尽きた。


いやほんと、なんかこう、どうしたらいいのかわからなくなる映画でした。
結構、エンジョイしようと、積極的な姿勢で見てたんですよ。
でも、展開はわりにスピードがあって「あれよあれよ」という感じなのに、どうも「で、いつになったら始まるの?」みたいな感じがして、妙な、流れの鈍さがあって。
道具立てもキャラもそれなりのものがありそうなのに、なにか、響いてくる感じが、しない。


見終わった後、「どうして、こんなことになってしまったのか?」と。
しみじみ思ったわ…
もうちょっと、なんとかならなかったんだろうか。
2時間ちょっと見続けられる映像であって、けして安くないレベルの映像に思えるのに、「物語」だったという感じが、しない。なにかこう、プロットを見せられたような。セリフにしても、テーマの概念がぶつ切りのまま、ごろっと出てきていたり、「ここからもう一段階だよね…!?」と思わされることがしきりだった。


いろいろ思うことはあったけど、一番感じたのは、

・アニメへの欲望の足りなさ 

宮崎父と比べるのは意地悪だと思いながらも、今まで夏を楽しませてもらってきたジブリ作品をどうしても思い浮かべてしまって、そしてやっぱり、思ったのはこれ。アニメへのリビドーが、宮崎駿アニメは本当、桁違いだったんだなと思った。ゲド見てから無性に見たくなって、「となりのトトロ」を見たんだけど、もう、なんかこれ、すごいもん。同じ一分の中で、ここまでやる!これもやる!みたいな。ほんと、言いたくて言いたくてしょうがないんだな、みたいな。そういうありえないくらいの熱さが、やっぱり、こっちの心を動かしてたんだと思う。


ゲド戦記、シナリオにしても、キャラのセリフとか、もうちょっとこなれた、それらしい表現があったんじゃないかって思っちゃう。冒頭の「アレン様の行方が分かりません」という侍女達のセリフなんかもそうだし…
監督がどう、っていうより、なんかこう、いろんな部分を一本の線に(それはつまり、監督の強烈なビジョンということだと思うんだけど)集約させることが出来ずに、雑駁な印象のまま繋がってしまいました、という感じがした。
テーマは或る程度通じたんだけれど、「お話」としての、魂のようなもの。最後に入る「目」は、どこに? 最後まで、炉に入るべき火のようなものが感じられなくて、
そのままクライマックス、ラストが過ぎ去ってしまい、最後、四人が談笑するカットで「ぽかーん」と… あっ、なんかもう、終わりみたいなんだけど、的な。



それから、いけなかったこと、

・ゲド(ハイタカ)がカッコよくない。

これは痛い!
というか、なんでタイトルが「ゲド戦記」なのかが、わからない。
もっと言えば、テーマがこのテーマなら、別に、「ゲド戦記」を原作にする必要はない。全然ないじゃん? と思った。
巷で言われてる「父殺し」「父越え」のモチーフも、別段、映画を見れば、それほどでもない。むしろ添え物という感じ。ユリイカのインタビューで、「父を刺したシーンはアレンの鬱屈の爆発の象徴で、必ずしも父であることが主眼ではない」みたいなことを監督が言ってたけど、ほんとに、その通りだったと思う。というか、父は刺したものの、全然、話が「父」に戻っていかないんですよ。全編これはその感じで、とにかく、「戻らない」。どんどん流れ去って、ついにはラスト、という。それはいかがなものかと思うが、とにかく、「メディアが言うほど『父』じゃないじゃん」という印象。
テーマとしては、「際限の無い不安との戦い」これのほうが大きかったような気がする。
で、「ゲド戦記」を映画にすることになったから、ゲドでこのテーマを描いたんだ、という流れはよく分かるんだけど、それならそうで、もうちょっと「ゲド戦記でやる意味」を出してくれたってよかったんじゃないか、と思う。原作ファンとしては。

これは最初から期待すらしていなかったけど、原作者のフェミ的な試みとかもですね、ちっとも、映画に汲み取られている感じもなく。ならば、せめて、「ゲド戦記」と名乗ったからには、ゲドの、テナーの、いいとこを見せてほしい。ゲドはただの物分りのいいおじさんキャラになってしまって、ほんとに、「で、なんで『ゲド』戦記よ?」という気持になるのよ。「アレン戦記じゃん!」みたいな。原作を読んだものでさえそうなんだもん。寂しかったわ。
これ本当、なにか大タイトルをつけて、副題「ゲド戦記より」の方が、万倍良かったと思う。やっぱり、内容とタイトルが合ってないのは、一番がっくりくるなと思った。難しい大人の事情があるのかもしれないけど、前作だって、原題の「魔法使いハウルと火の悪魔」から、「ハウルの動く城」にしたじゃんか。そんならこれだって、なんかぴったりくるタイトルをつけたほうが良かったって。


S先輩と、「いやー、これ、自分が仮に原作者だったら、怒るな」というアンサーを出したわけだけど、それにはやっぱり、こういう部分が大きく… 「ゲド戦記違うし!」みたいな…
その最たるものが、ゲド(ハイタカ)のかっこよくなさで、どこからみても「良きもの」を示唆されたキャラなんだけど、どうも、その「かっこよさ」が響いてこない。どこを愛していいか、とらえどころが全然なくて、ああ、単に顔がきれいなだけじゃ、キャラはかっこよくは見えないんだ、って学んだり。だって「ハイタカ」の顔って、スタッフが総意を持って「かっこいいです」って示してるみたいな、あの絵での或る王道みたいな、「カッコいい壮年の顔」じゃあありませんか。それが「かっこよく見えない」んだもん。
同じ「主人公を導くおじさんキャラ」として、ユパ様なんかと描写を比べてみても、ちょっと考えてみただけでも全然! 何から何まで、ユパは、文句なくかっこいい!! 冒頭なんか、王蟲に追いかけられて逃げてるだけでもかっこいい…!! ユパさま的なキャラに懸ける宮崎駿の情熱ってすごいものがあるけど、やっぱり、これも、○○をかっちょよく見せたい!というリビドーの所産じゃないかと思う。



創作物の魅力は、細部に凝らされた神経と、それから、作り手のマッドネスなんだなあ… としみじみ思って、その二つがあまり感じられなくて、どうも「ゲド戦記」、何かが足りない感じでした。
あと、中盤でのテルーの歌の長回しあれは無理だ…!!
せめて、1コーラスにして下さい。
けど、何か、「ああっ、もっと面白くなるのに…!」感がひしめく映画だったので。
次回作にやっぱり期待をしています。


この「ゲド戦記」、「夏休み映画!」っていう感じじゃなくて、ほんと、宮崎吾朗氏の監督デビュー作として、「ジブリの森」とか、都市のコアな映画館とかで、もうちょっとしっぽり上映してたら、結構良かったんじゃないかと思うのね。映画としては、もしかしたらそんなに悪くはなかった。ただ、エンタテイメントじゃなかったというだけで。
アレンちゃんの「影」が、「アレンの悪い部分」ではなくて実は、「アレンの本来の部分」「アレンの良い部分」という「よき影」だったところ、ここは、すごく良かったと思う。どこから見ても、「影」の方が悪で、アレンはそこから必死に逃げていると思い込まされていたから、ここは「やられた!」と思った。私はここ、結構感動して、これがまた「よき影アレン」の岡田君のボイスがたまらないし、かなりヒットでした。アレンの心は不安でいっぱいで、逃げ出したアレンは、「不安から逃げ出した」んじゃなくて、実は、落ち着きとか安心とか充足した自己を置き去りにした、そこから抜け落ちた、「不安それ自体としてのアレン」。それが、ゆっくりと追ってくる安心し充足した自己から、必死になって逃げ惑っている。何がそんなに不安なのか。しかし、不安とは不安それ自体の事を言う気もするので、安心や充足と一体になってしまうと不安は消えてしまう。不安が延命するためには、本来なら解決となるはずの充足さえも、悪鬼のように恐怖して逃げ惑わなければならないとか。一体化して安堵してしまうと、むしろ、自分が消えてしまう気がするとか。何かこう、「不安」というものをすごくよく言い表しているようで、ここの描写は心を動かされたし、感動を受けた。
ただ一点、アレンちゃんはこの不確かな世界にあって、「王子」という反則的な特権身分なわけで、一体、なにがそんなに不安なのか?という問いはやはり残るわけです。アレンが望めば、だいたいどんな望みも適うんだろうし。王様になりたくなかったのか?? だけど、ゼロから始めるにしても、本当に無一文であまつさえ借金なんか背負ってる極貧の子と、高等教育を受けているアレンとでは、全然、条件が違うんだろうしね。
そのへんの、「不安の理由」がもっと見えたら、良かったかなとも思う。

結構、高い文学性を持った監督なんじゃないかと思うので、次回作も機会があったら見たいです。