「相棒」シーズン7最終話感想!!


ミッツィー(谷原章介風)、でらキュート
・きょどったときが、何か小動物っぽい。ホホの動きがカワイイ
・小野田キター!!!
・湧き起こる「いっとく」コール
・森井は小野右(オノミギ)です!
・ミッチーに話しかける一徳
・「あなたが優秀だからですよ」
・神部ふくざつ!


・ミッチーって、漫画みたいだな
・いちいちかっこいいミッチー(移動してるだけで!)
・特命にミッチー参上!!
・課長のパンダマグかわいい
・トップ2にすげなく扱われる神部
・ミッチーとトップ2の絵が違いすぎて、冷たくされてるように見えない!(笑)
・まるで、ふたりの負け惜しみのようだ(笑)


・ミッチー憮然。なんなの?特命って
・おもむろに、Mac打ちながらモノローグするミッチー
相棒・アンド・ザ・シティ!!!
・超、ウケたんですけど(笑)
・あっ、AATCのオープニングが頭に浮かぶ…! そして違和感がない(笑)
・この「日報打ちながらモノローグ」の手法、いいね〜
・演技で表現できない点(あっ)も補えるし、ちょうどいいクッションになるしね。
・これからは、「キャリー神部」と呼ばせていただこう。


・さて、伊丹・マイ・ラブ登場
・ミッチー高級車(追記:GTRらしい?)
・ミッチー、道にしゃがみこむ動作が微妙に時代劇っぽい
・一般人には口の聞き方が横柄な神部。
・それにしても、いちいち無駄にかっこいいミッチー
・頭を振って前髪を払いまくるのはキャラ作りなのか、それとも地なのか。
・とにかく、前髪を払うたび、「キラキラッ…!」
・それ目立ってるよ神部さん(笑)


・神部ミーツ前田吟
・携帯、着電す
・「杉下警部ですね」キタァー!!!
・温泉旅館「柊荘」看板入る
・湯けむり? 湯けむり!? 湯けむりなの!??
・柱、旅館「柊荘」外観
・いよいよ湯けむりキター!!!
・部屋の前。神部「入ります」
・えっ、湯けむりは部屋つき露天風呂!? あられもない…!!!
・カメラ、パン
・右京さん、お洋服着てた org



・・・と、きりはありませんが、新相棒スペシャル、よかったと思います。
話はあんまり好きなタイプの話じゃないけど、久々に相棒っぽい話題(犯罪を見過ごすとか、見過ごせないとか)を聞いたような気もするし。原点回帰な感じが逆に新鮮です。やっぱり、ぶつかりあってくれないと面白くない。
神部のイヤミさも、右京さんと良い相乗効果を出せているように思います。
ミッチー、大丈夫なの…? と思ったけど、二時間見たら慣れた。
シーズン8はいつやるのかな?
いろんな人にいろんなこと言われると思うけど、ぜひぜひ、面白い「相棒」(新)を見せていただきたいです。


右京さんの、「きみは亀山くんのかわりにはなれません」のセリフは誰もが納得したと思う。神部さん自身も。
あのセリフを右京さんの口から聞いたことで、かえって、今までとこれからに線が引かれて、よかったと思います。よい「みそぎ」になったというか。
亀山不在はやっぱり寂しいし、埋めようがないよな、あーん薫ちゃん…! っという気持も、ありで良いんですよ。良いんですよね。右京さんのセリフで、なんか楽に好きなったな。
そんな気持と共に、新生・相棒を楽しみたいと思います。
新生っていうか、「相棒・宇治十帖」っていう感じですよね(笑)
そう思うと全てが許せるよ(笑)

炊き込みご飯と芯の関係

悲しいとき〜 自分の作った弁当がまずかったとき〜・・・


先日「自分のお弁当が好きです☆」などとスイーツ(笑)なことを書いたにも関わらず、今日はもーーー、持参した炊きこみおにぎりがおいしくなくてどうしようかと思いました。


炊き上がった段階から「やっちゃったかも・・・」と思っていたけど、それが確信に変わったね。
いちおう、オレンジページの言う通りに作ったつもりなんだけど・・・
何がいけなかったのでしょうか。


まず、炊き上がりの米に、今までに無く芯が入っていた。
それだのに、仕上がりはこれまでになくべちゃべちゃしてた。OH!
ここで疑問なのが、「ざるに上げる」という、あの一工程です。
オレンジページでは、「炊く30分以上前に研いでざるに上げる」とある。
最近の炊飯器では、吸水もプログラムの中に入っているので、米を研いだら即、炊いてよいというではないですか。私の炊飯器もそうなのです。
が、炊きこみご飯のときは、「味をしみこませる」という命題も担っているではないですか。
そうなると、「ざるに上げて、水を抜いて、その中に水&だしをしみこませたほうがよいのかな?」とか思うよね。
だけど、一方で、芯が残っているということは、あれ、もっと水を吸わせたほうが良かったのかな?? とかも思うじゃない。
教えて、えらい人・・・!!!(by 天才てれび君)


今回は、鶏ひき肉とエノキの味噌風味・・・ということで、今まで作ってたのと違って油分が全然なかった、ということも、仕上がりに関係があるのかも・・・


一番良い案としては、「もう、このレシピは作らない」というのもあるよね(笑)
上手に出来たやつ、または、まだ作ってないやつを積極的に作っていくぜ、という展開ですね。
それもいいのかもしれない。が、芯のある、かつ、べちゃべちゃな仕上がりはこれっきりにしたい。
炊き込みご飯は奥が深いぜ・・・ と思う今日この頃です。

(追記)「相棒」にミッチーさんの件


今日はね、久々に、「死にたい・・・」と思うくらい落ち込んでいたんだ。
(普段は、言うけどめったに思わない)
でも、生きてて、よかったと・・・・!!!!!
心から思いました。


「ナナ、辛くても生きてれば、いいことあるね・・・」

って、心のハチが囁きました。
趣味は、「エア・矢沢あい漫画」です。
地球に生まれて、良かったァーーーーーー!!!!!

「相棒」にミッチー登場!!!!!

杉下さんの新相棒=ミッチー


本当ですか? 本当なんですか???
っていうか昨日の予告編から登場してたらしいのに、
テレビつけてたのに、あまつさえ「相棒」途中まで見てたのに、思いっきり見逃したし…!
ミッチーFCなのに知らない私。どーなの!!


さて、それはともかく、
わーいわーいわーいミッチーだー!!!!! と喜ぶ心と、
いま、おもいっきり心が離れてしまった「相棒」をどう見ればいいのか悩む心と、
いりまじって春の空であります。
昨日も、いちおう「相棒」見てたけど、どうにも面白いって思えなくて。
シナリオ的には面白いのかもしれないけど、わたしの思う「相棒」的に面白くないっていうか、そんなガックリ感でついテレビを消してしまいました。
薫ちゃんがいないと、殺人、犯罪、という要素がすごく暗ーーーーーく、陰鬱に感じられて、
見ていられなくなってしまうのです。
右京さんも、単に、「犯罪の謎を解くのを面白がっている人」にしか見えなくなってしまう。
周りの警察関係のみなさんのことも、そんなふうに見えてしまう。
米澤さんも、伊丹さんも、好きだけど、なんとなく、見ていて重ーーくなってしまう。
ドラマとの結節点を見出せなくなってしまい、内容も犯罪ものだからご飯食べながら眺める気持ちもしなくなる。そして電源OFF・・・ そんな、毎水曜日。


いかに、寺脇さんの「薫ちゃん」の存在感が大きかったか。
ハンバーガーのパンを抜いたらもうハンバーガーではないように、
「相棒」の亀山薫を抜いたら、もう、「相棒」ではないのではないですか??? と、問い続ける毎回でした。
シーズン7の存在自体が、もう疑問。そんな、反・テレ朝、反・シーズン7の私でありました。
が、そんな中、突如キャスティングされたミッチー!!!
ご本人が赤い彗星好きだけあって、なにか、衝撃も通常の3倍であります(わたし的に)。



あーーーーどんな「相棒」になるんだろう!
で、「相棒」的にいえば、また右京さんにフィックスした「相棒」が出来るらしいのがとっても嬉しいです。
今回は、亀山さんが地に足の着いた「庶民派」キャラクター(つまり、憧れ性と共通性でいえば共通性が強いほう、)だったのと違って、
二人とも、地面から3センチくらい浮き上がったキャラクターであります!!!!
ミッチーは、仮に「ふつう」を演じたって、そうなる! たぶん、きっと!!!
(それが、「白い巨塔」では、あの全体のどっかおかしな雰囲気とベストマッチだったわけですが。)
あーーーーーーー、超、楽しみーーー!!!!!!
4月から「鋼の錬金術師」も始まるし、録画機器買っちゃおうかしら。給付金で!!! と、そんなことすら思う、春のはじまりです。
(「春のはじまり」ってミッチーの曲にありそうだなあ〜)

湊かなえ「告白」

読んだ。
いわば、読後感最悪の「藪の中」。
教師森口の語り口の章は良いけど、他の章は文体がダレたり、ほころびてきてるなと感じて、やや気恥ずかしくなったりもした。


さて、思うのは、「果たして、この小説を読んで、明日もまた生きていこうと思えるかどうか」ということ。
私なら、思えない。
確かに面白い。読み進められる。だけど、何が、心のなかに残るだろうか?


たとえば、読んだあと、足腰がたたないほど打ちのめされて、あるいは、逆に全然わけがわからなくって、でも読み通してしまって、翌日、「ああっ…!」という塊を抱えて脱け殻のようになって会社に行くときに、小説から、生きていく力を受け取っていると思う。
自分の中身を使って考えさせられること。内面が引き出されること。それが、読む行為と自分の生とが交差するということならば、この小説にはそれがなかった。


なんでだろうと考えた。
ひとつには、きれいすぎた。暗いものを扱っていながら、きれいすぎた。
もしかして、こういうものを書けることが、また享受できることが、「幸せ」ということなのかもしれない、と考えた。
臨場感はあるがリアリティがなかった。作者はなぜ、これを書きたかったんだろう。読む人にとことん嫌な思いをさせたかった。それならば、この小説は成功だと思う。


ふたつめは、三章あたりから、この書き手は「母性」というものを信奉しているというか、そこに立脚して書いているのではないか、と思えてきたこと。それが過信にすら感じられ、妙に、女の立ち位置から、「世界」を描いているように思えてきた。第一章の語り手・森口は中年の母親なのだが、その価値観が、章を変え、語り手を変えても、ずっと継続して後ろで煙っているように思えた。それが、嘘くさかった。子供って、こうなんだっけ? 中学生って、本当に、こうなんだっけ? と、途中途中で思った。
中学生の心の闇(という言葉で言い切れない「心の闇」)を描いているのだと標榜しつつ、その実、大人から見た「子供」、親から見た「子供」、母から見た「子供」を書いている。それが、「子供」自身が語り手のパートであったとしても。


私は、作者が、この作品で「中学生」を描いたのは卑怯だったと思う。もしこうした試みがやりたいのなら、自分と同じ、「大人」の、話を書けばよかったのだ。その殺人と復讐の闇に、向き合えばよかったと思う。「大人目線」で作りあげた「子供」を、書いたりするくらいなら。
人の悪を描き出したいならば、まず大人の悪を先に描くべきだ。「中学生」という便利な年代を使い、彼らにそれを負わせるのは卑怯だ。なるほど、中学生にも、当然それはある。だけど、その前に大人はどうなんだ。最初に問うべきは、あるいは、同列に問うべきは、そこなんじゃないかという気がする。
もしも、どうしても「中学生」でそれが書きたいのだというのなら、中学生という年代をもっと、全人的に見るまなざしが必要だと思う。上から大人の目で見るのでなく、同じスケールで、あるいは地面から、見なければならないと思う。そうすれば、「母」への帰結にはならなかったのではないかと思う。


この小説から学べることは、「情報を出す順番」である。事件の時系列に対して、どのような入れ替え、また、情報を開示する・しないの判断を行なっていけば、スリリングな構成を作ることが出来るのか。
すぐにでも役立つ技術だと思う。
だからといって、さあもう一回読み返そう、という気持になかなかなれないのが、困ったところではある。

気合いが入るぜ…!!

週末、高校の友達の結婚パーティーです。
会費タカイ…とかケチなこと呟いていたが、一生のことだし、バシンと参列することに決めた。
新婦とメールやりとりしたら、高校の仲間も軒並みくるらしい。ホントか? あいつら、遠慮する方向で…とか言ってたよ?
一週間前になっても出席者が確定しない結婚パーティーってのもよくわからないけど(そもそも、案内が二週間前に来た)、ここまで来たら優雅に着飾るまでよ。あの子達には負けないっ! と、むやみな対抗意識が燃えるのが女の浅はかさなんですかね。
っきしょ〜、レベッカテイラーでいいやと思ってたけど、ヴィヴィアン・タム出動させるしかねーかな。そして、今さっき激辛レトルトカレーをガン食いしてしまいました。明日も飲み会です。NO!!

ザッツ・弁当エンターテイメント


午前中はお昼ご飯だけが楽しみ、
お昼が終わると、終業時間だけが楽しみ。
そんな、働きマン(っていうのか、これ?)のみなさん、こんにちは。
今日は寒いですね。森井です。


さて、自画自賛みたいで非常に恐縮なのだが、
私は自分の弁当が好きです。
これ、世の中一般が満足する意味でおいしいと思ってる、ということではなくて、
単に、自分が、自分だけが満足する意味でおいしい、ということなのです。
そりゃそうだ、作ってるの、自分だもん!!
自分が嫌いなものは入れないし、自分が嫌いな味つけにはしません。
なので、人と一緒にご飯を食べるときなど、いつも、不安です。
私自身は超美味しいが、あなたはどうなの、YOUーーー!!!! と、
ジャニー・キタガワばりに問いただしたくなる。


で、誰かと食卓を囲むときは、人に食べさせることも意識して作るけど、
そんな気遣いが全く払拭される、絶対的自分第一主義で作るのが、
弁当なわけです。
そんな「作る」なんて、大仰なことはしてないですけど、
なんで、自分の作った弁当食ってるときって、
「あーーーーーー、おいしーーーーー!!!!!」って思っちゃうんだろうな。
空腹は最大の調味料、っていうのもあるけどさ。
今日食べたごはんもおいしかった・・・
これだけで幸せになれるなんてほんと、わたし、幸せのハイブリット・カーだわよ。


なにせ、炊きこみおにぎりをチンして持っていくのがいちばん簡単なので、
しばらくはその路線でいきたいとおもいます。
今度は鶏ひき肉とエノキの味噌味炊きこみごはんにチャレンジ!