村上春樹「東京奇譚集」



思い出を…  どうも今晩はモリイです。

今日も今日とて「大奥」読んで垣添ラヴ!
赤坂さんにはしっかり垣添を守っていって頂きたいと思います。がんばって!!



さて、ところで、読みました、村上春樹東京奇譚集』。



やーーーーーー
アフターダーク』で、
「私の好きな村上節は無くなってしまったのね… 作家が変っていくのはしようがないことなのよね…」と失意していたんですが、ちょっと、きたよ村上節!!
もう、『アフターダーク』は一体なんだったんだ? と思うような。
あれは相当実験作だったということなんでしょうか。だって、全然、文体の手触りとか違うもんね。「海辺のカフカ」と「アフターダーク」のつながりは見えるんだけど、「アフターダーク」と、これまでの作品との断絶感たら、なにか、すごい幅を感じたんですよ。そんなに村上春樹を熟読しているわけじゃないで好けども。
で、「アフターダーク」があまり好きな感じじゃなかったので、
ああ、春樹は変ったんだ… 私の心にジャストフィットだった「春樹体」(村上春樹の文体)は、もう帰ってこないんだわ… と思って涙に暮れていたんですが、『東京奇譚集』冒頭の「偶然の旅人」読んで、「こ・れ・だ!」とグッときた私です。
いちばん、「偶然の旅人」が良かったっていったら、やっぱりまずいかしらん。
いちおエセーでフィクションでないというスタイルをとっているけど、
「小説」のひとつに数えていいよね。一番スキって言っていいよね。
こういう、エッセイ型の「小説」、小説といってあれならば「文芸作品」これが、本当にいいですよね。私は大好きです。
なんつうか、語り口がいいよ… 今までも「はァ〜」と思ったけど、また、研ぎ澄まされてるよ。


しかしながら、「偶然の旅人」最後、方向が「よきもの」に行って終わりましたね。
話として、そうならないといけない話だったとは思うんですが、
ちょっとセンチメンタルじゃないのと思った私はひねくれているでしょうか。
さいきん、村上春樹にはそういう「よきもの」に行く傾向があると思うんですが、私だけでしょうか。なんかこう、これまでの作品の系譜とか、作者の年齢的なものも関わってきてるのかなと思うんですが、私が最近潤いのない生活を送っているせいか、どうも、最後に「よきもの」がくると、ひねくれて「ケッ」とか思ってしまうの。だめよね… でもなんか、不満感が残るんですよ。もっとこう、ガリッ! と! 
かつての作品群には、ラストに、なにか、救いなく投げ出すというか、焼け落ちて何もない前に立ち尽くしているというか、そういう感じがあった。
村上作品のドライブには、そういう、美しい断崖の先に連れてかれるようなドライブがあって、だから、なにかこう着地してしまうと、今ひとつ、惜しい気がするというか。今までとまんま同じでもいけないかもしれないけど、なにか、もっと違う場所というか。ここじゃないとこに連れてきてほしかった…的な気持ちが、ちょっとするんですよ。
だって、「品川猿」の、「名札を預けた後輩が〜」以下のくだりなんて、あの、思わず「ゾッ」と背筋が凍るような、いきなり、違う世界への扉が唐突に開いてしまった!みたいな、夜中だったら辺りを見回したくなるような、あの寒気、本当に健在じゃないですか。そのドライブでもって、何か、もっと「よきものじゃない」とこに、最後いってみたかった気がするんですよ。あるいは、「価値を算出できない」みたいなところに。
この「着地」感は、作家の円熟なのでしょうか。それとも、私の目がいけないのでしょうか。
なんかこう、「着地」しなくていいのに、と思ってしまう、若い読者でした。
「ハナレイ・ベイ」のラストは好きでした。


あと、「品川猿」、ほんと、終盤のあの展開はどうなんですか。
私は、けっこう、呆気にとられたというか・・・ なんかもっと、別のにしてほしかったというか・・・ 率直にそういう気持ちになりました。「猿」どうよ?!
そりゃ、隠喩だってことは、分ってんですよ!?
でも・・・ でも、なんか・・・
「かえるくん」はまだいいんだ。しかし、ああやってひっぱってきて、最後は・・!?
これってどうなの。ちょっと辛かったです。
象の消滅」をとうとう買わないまま来てしまってるので、折を見てそのうち買いたいです。装丁いいよね。久々の春樹体験で、堪能した日曜日でした。