アイラブ・トーキョーシティー?

土曜日、なにを間違ったのか午前中から渋谷に繰り出してしまい、
QフロントをふらふらしていたらSATCの映画版サントラが輸入盤1500円で売りに出されていたのです。
隣の日本版は2500円。これまでは、いつも日本版を買ってきた。DEMO! これまでの経験を総合すると、日本語版歌詞カードを見るのは、最初の一日だけなのです…! あまつさえ、どっかに行ってしまうのです! そうじゃない?
世の中は不景気、私も、財布のひもを締めてまいります。
もうおバカな私じゃないわっ、とばかりに、輸入盤の方を買いました。

で、さっそく聞いていますが、いいですねー。気分はSATCですねー。影響されやすいおバカなオタクが約一名ですねー。
どの曲もいい感じですが、5曲目の「NEWYORK GIRLS」が超ロックでいい。
ノリノリで聞いているけど、大サビで、ちょっとだけ立ち返る。
「アイラブ・ニューヨークシティー!」のシャウトは格好よいが、はたして、自分は、「アイラブ・トーキョーシティー」とは言えないなあと


SATCの特徴はいろいろあるけど、その中に、キャリーをはじめ、みんなが、とにかくNY大好き! っていうのがありますよね。
キャリーなんて、いい雰囲気になった水兵さんとのデートの中で、彼が「(自分は田舎の出身だから)NYにはついていけないよ」ってぽろっと言ったがために、速効「合わない判断」を下してしまい、帰り道、「NYを悪くいう奴は許せない」ってモノローグするくらいだし。私はてっきり、キャリーも田舎のコネチカット州出身だし、内心は「えー」と思いながらも、形ばかりのホホエミくらいは返すのかなーと思ってた。


私は都市に暮らす独身者だけど、正直、そこまで愛してないよな東京、と思う。というか、全然。年々、合ってないよなー、っていう気持ちが募ってくるし、緑の中で静かな暮らしがしたいし、かと言って田舎に帰っても面白い仕事はそうないだろうし、色々息苦しそうだし、結婚がサバイヴの必須条件になりそうだし、第一、ジュンク堂池袋本店もないし… という気持で、踏ん張っている感じだけどなあ。
SATCを見ると、そうか、そこまでNYが好きなのか、って、ちょっと不思議に思う。
たぶん、そう思うための必須条件は、ある程度以上の収入と、そして、自分を活かしている、と思うことのできる仕事で成果をあげていること。そう思えば、SATCはかなりハードルが高くて、幻想としてはハイブラウな話だ。


東京への慨嘆に対しては、私は、江古田ちゃんのそれが一番近くて、
「理由なんてない ただ帰ったら負けなだけさ」という、
まさにそれな気がする。
それから、ブランキー・ジェット・シティーの「小さな恋のメロディー」の歌詞。
「行くあてはないけど ここにはいたくない
 いらいらしてくるぜ この街ときたら」
これがもう、本当に、その通りの気持ちだ。
高校生の時に、ずっとずっとそう思っていた。いつか、ここから出ていってやると。ここにいても、自分に、ろくな未来なんてないと。


どうして、そういうふうに考えたんだろう。
今となっては、「若かったから」としか言いようがないし、女子だったから、というのも、多分大きく関係があるんだろう。
普通に地元でずっと生活したり、大学は東京に出るけどIターン就職したり、そんな同級生はたくさんいたのに、私は地元で仕事をしてそのままずっと暮らす、というイメージが全然持てなくて、それで、結果、このように自分を形成してきたわけだけど。


このところ、自分のいくつもの選択を振り返ってみたりするけど(今思ったけど、その振り返るのって全く時間の無駄な気がするな!)、やっぱりどこをどうなぞっても、出てこないわけにはいなかったんだよねー、というところに落ち着いてしまう。
村上春樹的に言うと、世の中にはそうなる人間と、そうならない人間がいる、ただそれだけのことだ、 みたいなことになるんだろうか。


アイラブ、とはとても言えないこの街で、でも便利だし生活の基盤もあるし、っていいながら、私はどんどん歳を取っていく。駅とかで、年老いた女性のホームレス風の人を見かけるたびに、将来の自分の姿かもしれない、と思う。一回無職を経験しているからか何なのか、自分は暗い海の上に板一枚で浮かんでいて、海の下と上とは背中あわせだ、という気持ちがする。ここで老いていくのはなかなかしんどそうだぞ、と思いながら、でも、どこで歳を取っていくのも、それなりにしんどいものなのかもなあ、とも思う。


私がSATCに惹きつけられるのは、恋愛に対する直球な語り口もあるけど(ほんと、最高だよね)、都市生活者の孤独、という部分に、無意識に揺さぶられてしまうからだろう。だからなんとなく元気づけられて、いわゆる、「あがった」ような気持ちになるんだ。そのときにあがっているのは、多分ラブの部分ではなくて、もうちょっと色っぽくない部分。大丈夫、ひとりでも強く生きていける。人生、捨てたもんじゃないさ。 という、そういう部分だ。


ところで、今日、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読み終わって、久々に彼の小説を読んで思ったけど、
村上春樹の小説って、ある意味、ひとりぼっちのセックス・アンド・ザ・シティーみたいね(笑) 80年代の。 
SATCを揶揄する識者にはまず村上文学に難癖つけてもらわなきゃいけないなあ(笑)、と思った、薄曇りの祝日でした。