「後朝の文」の復権を

私の専攻は日本文学で、平安時代なんか理屈抜きで大好きだし、この国はとても好きなのだけれども、
だからこそ、あまり趣味の悪い「国へのラブ」を多発しないでよ、と、最近のメディアには思うのだった。メディアということはつまり、そのウラの、政財界の意図だと思うんだけど。
ところで、「美しい日本のナントカ」という言葉があまりにも耳に入るので、
みんなのすなる「ナントカ」を私も探してみようかしら…、と、最近無意識に探していたところ、
これだ、と、思い当たるものがあった。


後朝(きぬぎぬ)の文。


いま、一発で変換で「後朝」って出たことに驚き。
後朝の文、とは、平安時代の婿請婚が主流だった時代に、男が女のところに夜通うわけだが、
夜明け方まで一緒に過ごして、その間にたくさん言葉を言い交わしたはずなのに、
男は、帰った後、まだ日も昇らない、朝露の残っているうちに、「後朝の文」を送るのである。
その文の届く速さが相手の誠意の丈だとされていたから、
公達はみな、「できるだけ早く」、でも「いいお手紙」を出そうと、命がけになった。
その手紙の紙とかにも意を凝らしたし、なんだったら逢う前に雛形を考えておいたり、
果ては代筆屋に頼んだり、必死になって「後朝の文」を送る。
様式美といえばそうだけど、その格好の付けかたというか、男の伊達の見せどころというか、
そのあたりが、いいなあ〜 と、しみじみ思うわけなのでした。
「格好をつける」って、すごく、大事なことだと思うし。


というか、素朴に、嬉しいよね、これ。
じゃあね、って別れて、うたた寝をしたすぐ後で、現代だったらメールかなんかが届くって、
なんともいえずしみるものがあると思いませんか。
恋人じゃなくても、友達同士でも、バイバイの後に「今日ありがとう」とかの便りが届くって、
私はものすごく嬉しいし、心が温まる。
友達だったら、どっちから送ったっていいけど、
交際だったらやっぱり、「相手から」っていうのが嬉しいところだと思うわけ。(特に女子)


というわけで、私としては、後朝の文復権を強く叫びたいわけなのでした。
いいよ、後朝…!
キヌギヌとか呼んで、みんなで流行らそうよ…!(KNGNとか!)
ほんと、いわゆるモテのテクニックより、
その一通の「後朝の文」が、劇的にモテ率を上げるのではないかと。
浅学ながら、そう思う次第なのでした。
後朝のお文。私もほしいです。(←おいっ…!)