お久しぶりでございます

ウィスキー、大好き!
どうもこんにちは、森井です。
前回から実に50日ぶりくらいでしょうか。ご無沙汰申し上げてしまいました。
(といって、前からの読者さんがまだ読んでくださっているのかどうかが既に謎です)

理由といってはアレですが、忙しさ&体の疲れから、自宅でPCを立ち上げなくなりまして。
そしたら、こんなに、間が・・・
あれー、蘭ねえちゃーん。もう、桜が散ってるよ〜?
それどころか、もう、2008コナン映画だよ!! 楽しみ!
いやー、時間って、早く過ぎ去っていくものなんですね。


その間、何をしていたかといえば、

エドはるみに釘付け
→「相棒」の右京さんに釘付け
→伊坂(幸太郎)を読んでウツる(ありがち)
→照(デスノ)可愛い&書きたいウェーブ

特筆すべきものが何もない!!!!!(驚愕)
おかしいなあ、毎日、まっすぐ生きているはずなのに…!!


しかしながら、この空隙の間に、
ネットって習慣だなとつくづく思った…
というか、人生、ないし人間の行動というものは、ほとんど習慣でできていますね。
人生の半分は、習慣でできています
言っちゃうと、恐ろしいフレーズですが、ほんとに、そうだよなあー…


ということは、自分にとって有意義な習慣で一日、一週間、一ヶ月を送っていけば、
今よりも改善できるということではないのだろうか? ねえ? と、自分に問い直す次第です。
と、このように久々に日記を書いていて思うのは、自分の内心と対話するというか、「問い直す」という行動は、やっぱり書くことによってしか得られないのではないか、ということです。
とすれば、やはり、「書く」時間としての「webに何か書く」という行為は自分にとって必要なんだなということにも、また思いのいたるわけなのでした。


友達とこの間話したときに、「WEBに『日記』を書く意味って?」という話題になりまして。
彼女とは、ノン・アルコールで深い話ができるので、ほんとにいい人に恵まれたと思うわけですが、
(全くふつうに、「神、宗教の存在意義って?」「死刑についてどう思う?」「自殺についてどう思う?」「最近、この国はどんどんナショナリスティックになってない?」とか話せる。)
彼女は、「自分はミクシィに書いていたけど、なんだか疲れて、いまは手書きでノートに書いている」といい、「内容は、ミクシィに書いていたことと同じ」と言いました。「その間に、違いはとくにない」と。
「ネットだと神経が立って眠れなくなるけど、手書きだと、そのあとすぐに眠れる」とも言っていた。
私の場合は、なぜだか、手書きでノートに書き、誰にも見せない日記よりも、オンラインに書くほうが、自分の考えていること、頭の中、心の中、を、対象化できるような気がする。これは、一体どうしてなんだろう、と、しばしば考えてきましたが、暫定的にいま思うことは、やっぱり「誰かが読んでいる」という事実が、大きく働きかけているのではないか、ということです。
とはいいながら、私のこのサイトが、あまり(というかほとんど)コミュニカティブではないことは、見てくださっている皆さんが最もご存知のところだと思います。過度にコミュニカティブな記事(とか)もあれば、批評もあれば、ぜんぜん、誰に見せるつもりなのこれは、的な記事もある。
私がいま思うのは、「どっちか」だけでは自分には足りないんだな、ということで、それを思うと、「ブログ」という体裁があってよかったなあと思うのでした。

たまに、なにかこう「態度」を決めたほうが良いのではないか? と思うことがあるけれども、決めきれないまま、もう2008年ですか。もうすぐ28歳ですか。愕然とします。