美しき日本のナントカ


どうもこんにちは、森井です。
土曜だというのに出勤、日が暮れてきたのにまだまだ帰れません。
おうちに帰って、「相棒」が見たいよ…!!


ところで、最近、やたらに「美しき日本のナントカ」的なフレーズが増殖していますよね。
「日本の○○は美しい」とか。
個人的に、日本の伝統ものとか「あはれ」「みやび」の類は死ぬほど好きな私ですが、
平成の「美しき日本のナントカ」は大嫌いです。
最初に「え?」と思ったのは、資生堂「TSUBAKI」の初代CM。
スマップのCMソングと合せ、なんか気持ち悪いな・・・ と思いました。


前に、山田詠美のエッセイで、そういった風潮にふれてあり、
「美白という言葉にであって驚愕した。アメリカなら、「美白」は差別語ではないか?」とあって、
私は「美白」という言葉には全くなんとも思っていなかったので、
あ、視点が違うと、こういう受け取り方もあるんだ、と、蒙を啓かれたものでした。
世の中的には山田詠美は「恋愛」、しかも、ソウルミュージックをバックに「ヘイ、ベイビー」みたいな、それ系の作家だという認知をされていると思うけど、
一方で、生活の中の差別、ということについて、たくさんの言葉を生み出している作家で、
それは、ブラザーを伴侶に持ち、ずっと「黒人」という人々と人生をともに生きてきた彼女だからこそ
持ちえる視座、見えてくる世界のゆえなんだろうと思う。
私は、山田詠美のそうした作品群がとても好きで、「エイミー・セッズ」(新潮文庫、でも単行本の装丁がとても素敵)の中の、東京のファミレスで夫を侮辱されて、思わず殴りかかろうとしたエピソードが、いまでも鮮やかに心の中に残っている。


「美白」という言葉についての、その指摘から、私が思っているよりずっと長く、この風潮は続いているんだなと考えさせられた。
韓国籍の友人(大学の同級生)と会って、その話をしたときに、彼女は、「日本の女性は美しい、というフレーズは、なんだか複雑ね」と語っていた。友人は日本生まれ、日本育ちで、ずっと日本で暮らしている。本人が言わない限り、国籍について、誰も意識に上げはしないだろう。普通に税金を払って、普通にここで暮らしている彼女と、日本国籍である私との間を、区分する、「日本の女性は美しい」というフレーズの意味するところは一体なんだろう?
マジョリティにいる私にしてみたら、始めは、「今、そんなに、日本は元気をなくしているのかしら…?」という思いを持っていた。民心の鼓舞、というような。けれども、最近のTBCのCMとか、ミス・ユニバースのメディア露出、持ち上げ方などを見るにつけて、段々、それが、優越性と攻撃性とを帯びてきているように感じるのだった。
TBCのCMは、アレは、かなり、見ていて不気味なんだけれど、私だけの感慨、なのか…??