「守るため」って言うけれど。(バトル漫画って何。)



しかしながら、ブリーチの、あの、戦う理由が「守るため」っていうやつね…


ジャンプのバトル漫画って、
もう、そろそろ、戦う理由、「守る」以外でもいいんじゃね?? 
飽きました。正直。
鰤だけに限ったことじゃないんだけど、当世のこれ系の旗手は鰤でしょう。


ちょっとそれるけど、ワンピが始まったとき「おおーーっ!!!」って思ったのは、
闘いの動機が「海賊王に、俺は、なる!」だったからだと思う。
他にもいっぱい魅力はあったけど、あのルフィの宣言が、私にはすごくストライクだった。
当たり前の動機のようなのに、なにか、ものすごく新しく聞こえた。「これだ…!」みたいな。
最近、ワンピも、ちょっと「守る」になっちゃってるけども… だけど、あの漫画の動機は依然、「俺はなる!」という強烈な宣言で、だからあんなにエピソードが膨らみまくってもまた戻ってこれるんだと思う。
あとスポーツ漫画なんかは殆どが「勝ちたい!」とか「○○になりたい!」だと思うんだけど、バトルものの漫画は、すぐ「守るため」とか言っちゃって。一番、闘ってばかりいるのに、動機はそれで、どう考えても、苦しいわけですよ。
幽遊白書」でその限界は見えていたはずなのに、それ以降もずっと、「守るため」「守るため」って、21世紀になってまで、臆面もなく中心的価値観にそれを引っ張ってきてさあ。それを、看板漫画にして。勿論、「守る」のは大事なことだと思う。だけど、それだけで、本当にいいんですかね。


一護の真空ぶりを、見てよ。
これが、本当に魅力的な人間なのか?
防衛から攻撃に転じて進んで攻めていけ、とかいうことじゃないんですよ。そうじゃなくて、もっとこう、主人公の「自分」っていうのは、ないんですかね。闘うことに、「守る」以外の動機は、ないんですかね。
少年誌の限界というか、弊害というか、主人公は、正義でなきゃいけない。でも、闘わなきゃいけない。強烈な野望等がない場合には、それこそ、「守る」こと以外には、「闘う理由」というものはない。闘うのは防衛のため。だから、やれ○○が攻めてきたとか××が攫われたとか、そうやって「守る」ための状況を生み出して、キャラを戦わさせざるをえなくなる。主人公は、リアクションとして「守るため」に闘い続けているわけで、元々、闘う動機は彼本人の中にはない。だから、変化となると、どうしても、あの「戦闘狂」の方向に行くわけでしょ。お約束の、あれに。ほんと、そうでもするしかないもんな。


だけど、動機が真空のまま、「守る」「守る」で際限なく闘い続けて、相手を半死半生にしたり殺したり、自分も生死の境をさまよったりとか、それ、本当に、いいかな。というか、それって、なんだかヘンじゃん。「守る」というと随分良いことのように聞こえるけど、なんだか、そっちのほうが、随分恐ろしくて、奇怪なことに見える。「守る」こと以外にさしたる自分がないまま、そんなことやっちゃって本当にいいのか? というか、なぜ、そんなことができるの? それをカッコよく描いちゃって、ほんとに、いいの?  というような、気持になってくるわけですよ。鰤を読んでいると。


いい加減、このただ「守る」ってだけが動機って、ジャンプの負の遺産なんじゃないかと思うんですけど。この路線にされた挙句に、アレなことになった作品がどれだけ多いことか。本当、トーナメント方式に勝るとも劣らない害だと思うんですけど。
そろそろ、ただ「守る」ためだけの闘いっていうのは、打ち止めの方向にしませんか。
これが現実だったら、大変なことだけど。
フィクションなんで。
現実は非戦を固持しながらも、フィクションは、もっと、闘うことに主体性を持たせて描いたっていいんじゃない? むしろ、主体性もないのに、際限もなく闘って、際限もなく相手を傷つけて殺していくことのほうが、それがヒーローだってことの方が、百万倍も危ういような気がします。