ところでうちの都知事、




つーか石原…!
「斎藤君の右腕を触ってみたい」とか安直に言い放った挙句、事実、3回も触った。触りやがった。
えーーー??????
むちゃくちゃ引いたわ。それって、なんか、はきちがえているんじゃないんですかね?
投手にとっての右腕って、すごく、神聖なものだよね。というか命じゃん。
それを、ただ都知事ってだけで「触ってみたい」→「触る」っていう、その神経が理解できない。ていうか不愉快。私、彼が都知事ってことで、以前からつくづく「都民やめたい」っていう気持ちになってるんですけど、今回、またシミジミと思ったわ。都民税払いたくねえ…!(払うけどね!)


確かに彼の右腕は偉業を成し遂げたわけだけど、それをリスペクトしたら、そんな安直に「触りたい」って言えないんじゃないですかね。ていうかその無邪気さは何? 芸?
それってなんか、美形の役者がいたとして、その「顔を触りたい」って言うとか、音楽家に「楽器に触らしてくれ」って言うとか、それと同じことなんじゃないのかな。高校生だから、いいんか? そんなことないと思うんですけど。


日本は、プロの「アイディア」に対する価値意識が希薄、っていう文章を偶々、ちょっと前に読んでて、それは、知り合いだからといって安易にプロに専門領域の事を相談するという、そして、その回答に対してまるで謝礼を払うという概念がないという、そういうことを述べた文章だったんですけど。アメリカではそういうことはないそうで、どんなに知り合いでも、プロの「アイディア」を譲り受けたら、それに見合った謝礼を払うんだそうで。そこに資本がかけられて獲得された知識の恩恵にあずかるときは、ちゃんと、それに敬意と対価を支払う、という。
ああ、確かに日本ってそうだなあ…、と思って読んでいたんだけど、今回の「ご満悦都知事」を見ていたら、あ、これも、そういうことなんだよな… と。しみしみと思ったの。
アメリカ式が全面的にベストってわけでもないと思うし、当然、一長一短はあると思うんだけど、やっぱこう、リスペクト意識っていうんですかね、そして自分をわきまえる意識つうか、そういうの大事なんじゃないかなー… と思った。これって、敷衍すると、「広末が早大に来たからお尻を触った」っていうのとあんまり大差ないような気がするんだけど、そう思うのは私だけ…?
なんか朝から、非常にげんなりでした。