ユーツな季節


ユーツ(=憂鬱)、それはピノコのみに許されるマジックワード
あの場面を思い出すと頬が緩みますよね。
さて、しかしながら、ユーツなんですよ。
なぜなら、ドン! ついに、仕事の繁忙期が、迫ってきたからなのです。
いやー・・・ これから、これからが、苦いよ。
電話の季節だよォ〜!!
今日帰りがけにちょこっと見通しを打ち合わせしたんですけど、
帰路、もう、ド・落ち込み。泣いたからマジで。
電話くんのヤダ・・・・・・
去年なんかねー、日曜の夜、祝日の夜、もう、必ず!電話かかってきたからねギャオス(ボスの異名)から。しかもギャオのやつ、別の先輩を介して電話してきたりもして。
「では、いったん、ギャオスに返しま〜す」状態になって、話はお手玉状態。
「一体なんのために電話してるんだ?」って思うよね本当に。こんなの、指導でもなんでもないじゃん?
ギャオが休日の夜に仕事するのは大変だなあと思うし、会社のためだし、忙しくてそうせざるを得ないのは分るけど、それを八つ当たりするのはやめてほしいの。だって、結局、それってギャオの勝手じゃない? 休みに仕事するのって。それが嫌なら、なぜ、一日も早く後継を育てないのですか?って話になるじゃん。「自分しか出来ない」状態にしてるのは、ギャオだと思うのね。だから、自分が休日の夜に家で仕事するからって、お前らも出歩かないで家にいろっていうのは、ほんと、勘弁してほしいのね。それでなくても、私ら、月のうち二回は土曜に出勤してるのね。土日続けて休めるのは、二週だけなのね。あと、土曜出勤したからって代休とか、有給とか、決して取れるわけじゃないのね。そんな休み事情なのに、「週末出歩くな」っていうのは、本当に勘弁してほしい。ていうか、それって罪。不当じゃないか? 一回、週末に実家に帰ったことがあって、普通の休みの日だったんだけど一応会社にも言ってたのね。そしたら、そのとき、日曜日の深夜一時前に、いきなり電話かかってきたからねギャオスから。それも、本当に謎な用件で。それでたたき起こされて、延々、小一時間怒鳴られ続けたからね。あのときのことは、絶対に忘れない。
そんなもんギャオスの気が狂ってるだけだって思うけど、でも、そんなことがあると、もう本当に憂鬱で。もしかしてまたあの惨劇が…って怯えてしまうの、まだ何もないうちから。
だいたい、電話かかってきたら、どうすればいいんだろ。どうしようもないよね。この、鳴り響いてる電話をどうすれば?って思うよね。もうナンバーディスプレイを導入したので、ギャオ電だってことは分るんだけど。取らなかったとしても、もう、ものすご気分悪いですよ。あー、もう、超怯える!! すっごいやだ。この、どうしても怯えちゃうのがやだよう。まだ何にも起こってないってのに。
もうとにかく続けれないってことはハッキリしてるので、何かあったら「そういうことされては困ります!」ってはっきり言ってやろうと思ってるわけなのですが。そんで辞めてやるぜ。ああスッキリする。だからって、「来るなら来ォーい!」って思えないところが、ユーツなところです。



ところで、甲子園の優勝校の暴力事件の記事を週刊新潮で読んだんですが。
自分で一次情報を得たわけではないので、ウソとかホントとかは言えないので、
あくまでもそういう記事を読んだ、読んでこう思った、ということなんですが。
その記事の中で、野球部の部員が、合宿中に野球部長(27)に怒られて暴力を受けて、
その後に、その生徒が、「部員一人一人の部屋に謝りに行かされた」とあって。
「あー…」と思った。

これ、うちの会社でもあったよ。

私じゃないけど、別の先輩がやらされたよ。一人一人を回って頭を下げないと、仕事に戻らせないって。本当、これ、絶対に尋常じゃない。でもそのとき、私も、その先輩をかばえなかったわけなんですが。本当に、どうしちゃったんだ自分、と思うんですが。
しかしながら、この、「ひとりひとりに謝らせる」ってやつ。
どうしてこんなことやらせんだ? って思うよね。
なんで、世の中の暴力振るう人っていうのは、こういうのが好きなの?
このやり方って、すっごく、よく見るケースだと思うのね。
正直、ほんとうに謎だ。こんなことして何になるっていうの?
だいたい、これ、全然、謝って歩く意味ないじゃん。
ムカついてるのは当の権力者だけで、別に、謝られる方は、ムカついてなんかいないわけで。あんたが言うほど、迷惑をこうむってもいないわけで。ていうか全然、謝られる必要を感じてなんかいない。謝るのも、謝られるのも、同じフィールドにいる同士で、利害関係も同じ。その謝罪が何を生み出すわけでもない。
それなのに、一人一人に頭を下げさすってさあ、さらし者にしたいだけじゃん。単に、あなたのその腹立ちの、腹いせなんでしょ? それを、みんなに悪い事をしたんだから謝れ、みたいな論理でさあ。お前はそれを卑怯だとは思わないのか。
人を辱めるのは、そんなに楽しいか。


私は本当に、状況や権力を笠にきて、相手が逆らえないのを分ってて暴力を振るう奴は、死んでしまった方がいいと思う。
でもそういう奴は守られて、勝手に理論武装をして、自分を正当化してきっと生き残るんだと思う。
そこから撤退して、遠くへ逃げることしか私には思いつけない。
そして、自分は絶対にそうならないと、どうかそうはならないようにと祈るしかできないと思った。でも多分、本当はそれじゃ駄目なんだと思う。そうやって逃げて祈ってだけいると、自分だけはよくても、例えば自分の大事な子供だとか、家族だとかが、回りまわってまたそんな目に合ってしまうかもしれない。それって耐えられない。そうなったときに、逃げてだけきたことをきっと物凄く悔やむだろう。
戦争なんかになったら、多分、国家規模でそういう暴力が起こるだろう。逆らいたくても逆らえない、絶対服従の状況が生まれるだろう。その後ろ盾は国家で、巨大すぎてもうきっと手も足も出ない。それだけ考えても、私は、戦争には絶対反対だ。
暴力ってすごく嫌だ。でも人間は暴力をふるう生き物だと思う。
なんでそういうことするんだ、ってすごく思うけど、
そういうことをする奴には、その問い自体届かないのだと思う。
それが恐怖なのだ。そこに立ち尽くすしかない。走れれば、逃げるしか思いつけない。でも走れない時はどうするんだ。襲い掛かってくる暴力を一体どうすればいいんだろう。
私はもうじき逃げ去ろうと思うけど、ここを去ったからといって、きっとこの話は終わりではないんだと思うようになった。逃げてばかり、怖がってばかりではいけないのだということも。そう思っても、じゃあどうすればいいのかというのは、すごく難しいと思った。