エヴァ・ノスタルジー




BSアニメ夜話エバンゲリオンの回を見て以来、
ノスタルジーにとりつかれてしまい、
いまさらエヴァの主題歌シングルやらサントラやら引っ張り出して聞いています。
いや、やっぱ、エヴァの音楽は、いい!!
当時、映像や内容もさることながら、音楽の素晴らしさに参ってしまい、
サントラが出るたび、学生のお小遣いから、
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと買い揃えたことを思い出しました。

Ⅱだけ、うっかり発売日を忘れてて、ちょっと経ってから店に行ったら、
あっさりと「初回限定箱付き版」が売り切れてたこととか…
Ⅱのジャケ、綾波だったからね…!!
ⅠとⅢは、しばらく立っても、初回箱つきのが残ってましたから、
ああ、やっぱ、こんな地方都市でも綾波はすげえんだなあと。

本放送当時、うちの地方は、エヴァは映っていませんでした。
(※本放送終了後、半年くらい経って、放送し始めた。因みに、朝5時半からだった!)
それでもみんな、こぞって買ったんだなあと…


私はといえば、アニメ誌で
「今度、エヴァンゲリオンという作品が世に出るらしい」と知って、
好きな声優さんが主要な二人だったので(緒方恵美さんと林原めぐみさんでした)、
もう、どうしてもどうしても見たくて、
首都圏の親戚にお願いして録画してもらって、(標準で録って!! とも・笑)
テープが埋まったら送ってもらって見てました。
ちょうど、ひと月分(4話分)で120分ですから、
月に一度、4話ずつまとめて見てました。
も、月に一度のエヴァ便を、すごく楽しみにしてました。
ビデオが来たら、きょうだい3人で一気に4話見て、その後見返したり。
今考えてみると、4話ずつ見れたのって、逆に結構良かったなと。

で、オープニングテーマで、きょうだい3人でもう、「どひゃー!!」ですよ。
スゴイ!スゴイ!って。
今期のアニメ夜話の2回目が「映画クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」で、
「アニメで初めてノスタルジーを描いた」と評されていましたが、
私にとってのノスタルジーって、色々あるけど、
確実に、エヴァンゲリオンのオープニング画面はその一つだと思います。
あの、静かに歌が始まっていく冒頭から、タイトルがバン!と出るあの画面。
もう、懐かしくて懐かしくて、その映画版「しんちゃん」の「ひろし」じゃないですけど、
「懐かしくておかしくなりそうだ!」と。
「しんちゃん」の劇場版の回で、ノスタルジーの象徴としての「万博」が言われてて、
あれが、日本全体で「共有」したイベントの最後だったんじゃないか、と
言われてましたけど、
それに比べたら規模とか位置づけとか全然違うとは思うんですけど、
私にとってのそれって、エヴァンゲリオンかもなと。
それだけじゃないけど、確実に、大きな一つだなと。
なにか、今期のアニメ夜話を見ていて、そのように思い至りました。


エヴァを見ていたのは、ちょうど中学3年の最後の半年で、
高2の夏に劇場版を見に行きました。
も、中学のときなど、テレビ放映してないもので、
同級生の誰一人、エヴァの事なんか知らず。
インターネットも持ってませんでしたから、
世間を飛び交うエヴァ論に触れることもなく、情報ツールといったら、
アニメディアアニメージュの立ち読み、それと、林原めぐみのラジオ、
そんなもので、ほんとに、静かでささやかな享受でしたけど、
それでも一人で沸々と好きでした。
きょうだい以外分け合う人はいなかったけど、
「すごい面白い作品の登場に居合わせている」という昂揚があった。

高校に入ってみると、
うちの高校の性格もあったのかもしれませんが、ぶっちゃけ、
文化部の男子などオタクだらけでした。
ある部室の天井をふと見上げたら、いきなり「知らない」と書いた紙が貼ってあり。
あっ… と。「知らない、天井」だよと。(第弐話のサブタイトル)
だいいち、その部屋の前に、「ようこそNERV江」っていう札がかけてあったから。
ごめんなさい、わたし、自宅の自室のドアの前にも、その札下げてました…!
でも、ネルフじゃなくて「CAUTION!」の面を表にしてたから!(同罪です)

いや、なんつの、リアルタイム放映されてなくても、やっぱ、
そんくらい盛り上がってたんですよ。札の件は置くとして。
高校に入って、「あっ、やっぱ、エヴァってこんなに人気あるんだ」というのを初めて体感し、そうだよなあ、面白いもんなあ、と納得したし、何か嬉しかった。
ただ、私の周りではエヴァを知ってて、嵌ってるというのは男子だけで、
いたいけな新入生(しかも女子)を、コアなオタク談義に引き込んではまずいという遠慮が男子の先輩方にはあったのか、あまり突っ込んだエヴァ談義をした記憶はないです。
でも、それまでほとんど自分だけしか知らなかったものを、「知ってる」「話してる」「普通に日常にとりいれてる(?・笑)」人が周りに沢山いるというのは、やはり何かとても大きかったです。


ネット環境も無かったし(というか「インターネット」を知らなかった)、
何か、エヴァの終わり方(TV最終回、劇場版)を見て、
エヴァの「謎」を探ってもしょうがない気がしたし、
エヴァ論とか謎の本とかは、全く読みませんでした。
後のものすごかったらしいエヴァ論争とかも、まったく関知せず遠くに見ていて、
自分の中では、劇場版で「??」ってなったときに、
エヴァは終わったというか、もういいや、って思ったというか、
今までリアル進行のものというより、さめた、終わったものとして
抱えてきたにも関わらず、
やはりエヴァは私にとってとても大きな作品だったんだなあと、
今、改めて思います。
テレビの前で、「うわ!すごい!面白い!!」って思った、
そんなにアニメとか詳しいわけでもないのに、「この作品は違う!」って、
すごく強く感じたこと。
映像の躍動感、生命感に、ものすごく心躍らされたこと。あの昂揚感。
そのひとつひとつ、そうして「感動」したことが、私の中に、とても強く、深く残っているんだと。
それが、自分の「昔」の堆積の中で、すごく大きな踊り場を作っていること。エヴァにまつわる地平が自分の中にあること。それを、10年経って、アニメ夜話を見て、初めて、強く自覚した。その「発見」があまりにも強烈で、しばらく、どうにもいたたまれない気持ちになった。エヴァ面白かった。すごい面白くて、そして、すごく好きだったって。
多分、今、エヴァを全部見返しても、私の胸を掻き毟っている昂揚に完全に出会うことはできなくて、それは、私自身の記憶の中にしか、もう存在しないものなんだと思う。だからもう、それをもう一度と思っても、もう二度と出会うことは出来ないし、この焦がれや飢えが満たされることはない。そう思うと、記憶はとても大切で、残酷なものだと思う。金で買えないものがあるとすれば、この焦がれ、時間や記憶の堆積は、まさしくそうだと思う。そして、そういうものを失ってしまうこと、忘れてしまうことを、ものすごく怖いと思った。そういう、自分の連続を失くしたくない。出来うる限り、許される限り、長く。



デスノートに嵌っている気持ちとかも、あと10年経ったら、
色々思い出すようになるんだろうか。
多分そうだろうけど、そんなこと、
今はとっても想像もつかないことだ・・・