デスノートMAX

超おひさしぶりのデスノ感想! 今週号デスノ読みました!


まずもうなんて言っていいかわからないわけですけど(随分前から)、
とりあえず、あのお面が「Lの面」だと分かった神がスゴイ。
ふつう分からないから!
ていうか、おまえ! おまえにはアレが L か!? アン!? と詰め寄りたくなりました、世界 L 愛護協会の一員としては。ちなみにライトは L 愛護の精神的にはブラックリストの怨敵なんですが(ていうか殺したし)、月→L的観点からは名誉協会員(最多G・B賞)という、非常に複雑な会員です。
今週、「お前はLに遠く及ばない」みたいなことニアに言っちゃって。何気にデスノは、相当、月→Lを表出していますよね。Lが死んでからというもの、時々、つぐみ様らしからぬ非常にこなれないやり方で「月→L」ベクトルを印象づけてくるわけですが、今回も、まるで思い出したかのようにライトの「 Lリスペクト」が登場して、「ああ、そういえば」と思いましたですよ。なんだ。神、 Lのこと好きなんじゃん。結局 Lが最高の好敵手だったわけだけど、それゆえにライトは自らLを葬らざるを得ず、永遠の喪失感を抱え込むことになってしまったんだねーー!!! という解釈が発動すると月→Lで「萌え1UP」となるわけですが、何か、もう、全てが遅すぎている感が大。なんかこう、出し方が、ぶっつんぶっつん切れてるんですよね。線じゃなくって、点。だから、出されたときは「ああ」って思うけど、それが持続できないというか… キャラの人格の描写とかもそうだけど… 照とミサに関しては、あんなに徹底されているのになあ。


さて、そして、  ですけれども。


あの… 我々の期待の生命線、最後の水源だった「T」、
ニアの策が着々と進行しながらも、ライトの隠し玉だった「T」、
「 T には他に大事な仕事を頼んでいる」と言っていた、その、「大事な仕事」が、


 覗 き


だったなんて……!!!!!



あの。ライトの策の大詰めというのは、
「照が、ニアの顔を盗み見てノートに書く」という、これだったのですか?
そんなプリミティヴな…!!
ちょっと、衝撃を隠せない私です。
すごい。本当はアナログだったデスノート。アナログどころか、ゴシックだったそういえば。バロックよりも前だから。だまされてた。そうだよね、「死神」だもんね、拠って立つテクノロジーが…
えー、でも、「ドアの隙間から覗いて名前を書いて」ってのが「隠し玉」って、えー??
みんな、これで、いいの? わたし、よくわかんない!



しかしながら、レスターの本名「アンソニー・カーター」萌え。それっぽい!
そして、「ジェバンニ」、結局はステファンだったのか!
君、どれだけ我々を混乱せしめたと思っているんだ。もう、びっくりしたんだから。「ジェバンニ!? 誰!??」って。ステファンはあの皆殺しで死んじゃったのかとさえ思っていたんだから。もう! 
あれ、結局「偽名がある」ってことにするなら、本誌で「ステファン」って名前を出しちゃった時点で、もう何が何でも「流通名・ステファン」で通せばよかったよね。それで、「本名はジェバンニでした」で、何も問題ないじゃない。いやさ、大違いなのよ、そういうの同人的には。


なんかこう、一部ではまだそうでもなかったんですが、二部に入ってデスノートは覿面に人物描写のクオリティが減退してきましたね。かといって、筋がおもろいか、画期的かといわれればそうでもなく。「絵」がすごいもんだからなんかごまかされてしまうけど、やっぱり、「人」をえがくって大事なことなんじゃないかと考えさせられたよデスノート。なんかこう、「面白い人物達」が何かをやっていれば、それがなにか、「面白い話」になっていくことってないですか。作劇の技術が本当に傑出していてそれで読ませる作家もいるけど、「お話」ってわりと、もう、いつかどこかで見た流れだったりするわけじゃない。何かの克服とか獲得とか、或いは、逆に破滅とか、勧善懲悪とか、色々。「物語」の型については12通りだか(うろおぼえ)いくつかの「話型」にもう既に分類されていたりするわけですが、だから、そこでやっぱし、「人物」って大事なんだなと思うわけよ。デスノの1部が面白かったのって、やっぱり、ライトのキャラの魅力がものすごくあったと思う。リュークもすごいいいキャラだし。あと、言わずもがな、L。ミサも、レムも、キャラ立ってたと思うし。
それが2部になってからはどうも、筋を消化するので精一杯、という感じに… ニアが毎回おもちゃで遊んでるーとか、メロがいつもチョコ食ってるとか、そういうのは、なにか、キャラづけとしてはちょっと微妙に違うなと。違うと言って悪ければ、やっぱり、それじゃ弱いなと。
2部でキャラがガツンときてるのはやはり照で、だからこそ、照を見ていると面白いわけじゃないですか。あの、一挙手一投足が。
だからもうほんと、2部は、1部からのライトさんのキャラクターの貯金だけで引っ張ってたというか、そういう感じがすごくするわけよね… 捜査本部の天使たち(相沢・伊出・模木)がいくら頑張っても、やっぱり、瞬間風速ですよね。伊出に至っては途中で脱落したしな。それだったら、火口逮捕劇のときに、相沢の助手席に乗って登場した伝説の人のままでいてくれたほうが、まだ良かったわよ、伊出しゃん…
あれですかね、デスノートは、ジャンプの「キャラ力重視文化」に対するカウンターとしての、「キャラクター磨滅型漫画」なんですかね? つぎつぎと、まるでやすりにかけるかのようにして、キャラ同一性を解体していくという。松田の変転振りなど、まるで、なにかの試みだったのではないかとさえ思えてきました。


しかしながら、この大詰め、リュークの再来に望みをつなぎたい。
リュークの線はまだ生きているはず。
リュークが出張ってこなかったら、デスノート終われないから! 原理的に!
まさかまさか、リュークのキャラ性までは死んでいないと信じたいわけですよ。それはもう切に。最近、なんか印象が薄いのは、それは、単に出番が少ないからだよね? 信じていいよね、きっと、リュークが何かブチかましてくれるって。
やっぱりさ、最後は、「ライト−リューク」ラインの中に回収されていかなきゃ、いけないと思うわけですよ。デスノートは。そこにしか総括はないはず。そして、そこが、最終クライマックスであってしかるべきなんだ。その最終点を期待したからこそ、デスノートは、あんなに面白かったわけで。「デスノート」の面白さって、「答えが見たい」面白さだと思うわけよ。殺人ノートで、主人公が新世界の神となる。そのテーマに、どう、この話は答えを与えるのだ?という。それが見たいわけじゃないですか。というか、私は、それが見たい。それが知りたかったから、今までずっとデスノを読んできたのよ。
まさか、「デスノって、実は、そういう話じゃなくってー」ということじゃないだろうな。だって、「ライト」に答えを出さなきゃ、デスノ終われないじゃん?
なんか、「ほんとに終れるの…?」という気がして怖いんだよね。
「ニアは死に、ライトは、神となり、照とリュークと共に新世界をつくりました。
そうやって、ライトは歩きます。 」
なラストでも、それは、仕方ないというか、いいったらそれでもいいけどさあ… 読者の立場ですから…
(でも本当は嫌なのね)



この期待値の質はもしや、かつて、エヴァに向けられていたそれに近いのでしょうか。私はエヴァはもう、映画のラストが全然理解できなくて解釈すること自体を投げてしまったんだけど、各々、エヴァに抱いていた期待があって、それを「裏切られたー!」と思ったユーザーは、「エヴァって何だったの?」状態になったわけよね、あのラストで。
デスノートの週刊連載を長く追っている間に、だんだん、最初の頃にデスノートに抱いていた期待とか、感動の質のようなものが薄れてきてしまったんだけど、少し深く思い出すと、やはり、鮮やかにそこにあるわけですよね。初期デスノートで燃え立った火のようなものが。それが取り戻せる間だけ、読者は、その作品のファンでいられるのだと思うのね。どんなに離れてても、読むとまたそこに火がつくというか、「こういう火があったのだ!」ということを思い出せるというか。
だからこう、本は捨てないでとっておきたくなるわけですが。古い親友に出会ったような気持がしませんか。
それはさておき、デスノートですが、もう、一体どんなになっていくのか。
まるで、明日次号が出るような錯覚に囚われていますけれども(笑)、
楽しみに次号を待ちたいですね。