★★★★★★★

上、ブランキーの名曲ではなく、
「持ち帰りの仕事」!!!

もー、この世で、いちばんいちばんいやなセブンスター!!!

家に帰った後ぐらい自分を取り戻したい…
やりたいこといっぱりあるなり…

今日一日何やってたんだ、みたいなこといって、当然みたいに家で仕事させられるけど、一瞬たりとも、遊んでいたり、無駄にしたりしているわけじゃないんだ。
本当だったら、今目の前にあるコレをつつがなく進めたいけど、そのほかにも、やらなきゃいけないことばかり山みたいにある。しかも、わけわからない、突発行動に駆り出される。何やってたの?っていうけど、あなたに、命令されたことをその通りやっていたら、終わるはずがないじゃないですか? ここには、優先順位というものが存在していないのですか? あれも、これも、どれも、それも、当然みたいにやらなきゃいけない。しょうがないでしょ、仕事なんだから、っていうけど、だいたい、そんなのっておかしいね。だったら言わせてもらうけど、どうして、パソコンが出来る人が、たった二人しかいないんですか。そして、どうして、もっと精進しよう、できることを増やそう、ってしないんですか。そうしたら、私と、あと1人だけにのしかかってくるパソコン関係の仕事は、「皆が出来ること」になって、随分回転が変わってくるんじゃないんですか。年齢を理由にするけれど、それこそ、しょうがないでしょ、仕事なんだから、じゃないんですか。だいたい、どうして、少なくとも1人若い人がいるっていうのに、その人がPCに無知なまま許しておいたりするんですか。
システムのわけわからなさをほっといて、最終的には、自己犠牲によって解決を見ようとする。それで、個人がどんなに、どんなに疲弊していても、見て見ぬふり。黙殺。
そんなんで、もっとがんばれとか、もっと、会社に貢献しろ、ここで自分を発揮しようとしろ、などと言われても、全くもって、無理です。
だって、何を言ってみたところで、出来ないなら辞めろ、ってあなたは言うじゃないですか。
今月はずっと、平日にも土日にも、家で仕事をして、九時半に出社して九時に退社して十時過ぎに家についてそれから家で仕事をして三時に寝てまた九時半に出社して、その繰り返し。今度の土曜は、休みの日なのに出張。嫌になっても、胃痛で立っていられなくなっても、私しかやる人がいないからするしかない。パソコンが出来ない先輩はいち早くお帰りになるのに、なぜ、私だけ、いつまでもカタカタやっていなければならないんですか。半分でも一部でも、先輩がやってさえくれたら、どんなに、どんなに、楽になるか分からないのに。
私がこの世で一番恐ろしいことは黙殺なのです。ただ自分の側の都合のために、黙って、相手が耐え切れなくなるまで待つ。耐え難い状態なことが分かっているのに、何か知らないが自分の中の大義をよりどころにして、ただ、黙って見ている。思惑ずくの沈黙の中で、自分が、噛みしだかれていく音が聞こえるようだ。このままいったら、もっと、もっとどんどんと黙殺されていく。しようがないでしょ、の一言のもとに。
もう耐え難い。絶対に辞めてやる。辞めなければ、きっと、自分はおかしくなってしまうだろう。体を壊したら辞めようと思っていた。でも、実は、すでに壊しているのかもしれないとようよう気が付く。常におなかが痛くて、薬を飲んでも一向に治らない。食事をするのが苦痛で、でも食べないわけにはいかず、しかし食べたところで、ますます痛んできて苦しむだけだ。もうごはんなんか食べたくない。食べなくても活動できる体になれたら。

辞めたところで一体どうしよう。次は、何を仕事に選べばいいんだろう。そもそも、次の、仕事につくことが出来るんだろうか。好きなものも好きという気持ちさえも、本当は全くの役立たずだと、何を愛したところで、夢中になってみたところで、今のこの一瞬ひとかけらたりとも動かすものではないと、知ってはいたけど今再び思って、真実絶望する。人の営為に寄りかかって、想像力に寄りかかって何か書いてみたところでむなしい。創造をしてみたつもりになってみたところで、むなしい。ごまかすことのできないこのむなしさ。楽しいが、楽しいとだけも思えない。私のしなければならないことは、もっと、他にあるように思える。苦しい。でもそれがごまかしてはならない本心という気もする。この気持ちは、この違うと思う気持ちは、大事にしなければならないのではないかと。