新生活、鋭くなって

↑なぜ、ナンバガ(笑)。おはようございます、森井です。
今日より4月、新学期、新生活ですね。
わたくしも、いよいよ、明日より、真・新生活です。
やったこともない仕事、ぜんぜん新しい環境、ぶっちゃけ「ひえー!」って感じ…!


去年の9月いっぱいで仕事を辞め、10月から就職活動をしてました。
定期的に見てくださっている方(どのくらいおられるのかは分かりませんが・笑)は、
「なんか、おかしな時間に日記が更新されてるんだけどなあ…」と、きっと、思っていらしたことでしょう。
すみません、そのような次第でした(笑)
(※これまでのパワハラの経緯は、2006年9月以前の日記をご参照ください)


就活&引越しでてんやわんやだし、寒い最中のリクルートスーツは非常に腰に応えるし、とてもしんどかったのですが、終わってしまえば、ああ、まあ・・・ という感じになるのが、人間の不思議なところです。やっぱり、「ちゃんと決まるまでここに書かない」と決めていたのは正解だったなと思います。あらゆる意味で。パワハラの辛さと違って、もう、結論が見えている種類の辛さだったので、分かりやすく頑張れたということもある。


今度の仕事は、同じ「本」の仕事なんだけど編集ではなく、編集を離れるのは、辛いといえばとても辛い。
まだ前職に勤めていたときに、知り合いから「どんな職場だって、今よりはましだろ」って言われたことがあったけど、わたしは実は、全然、そうは思わなかった。
もっとひどい職場も普通にあるだろうと思ったし、何よりも、今のこの仕事が好きだった。
文学雑誌の編集をやっていたんですが、わたしは、ほんとに、心からその仕事が好きだった。雑誌が好きだった。「なんでこうなの、この雑誌は」っていう不満、憎しみもあったけど、その照り返しのようにとても愛してた。だから、できることなら辞めたくなかった。その当時の日記が、出口のない泥沼のようになって、周りに「判断能力のなくなった奴」と思われ、そうなると、もともと低かった「垣根」はさらに低くなり。励ましのつもりなのは分かるけど、そんな言い方するかなあ…っていうような傷つく言葉、踏み込みすぎたことを言われたり、日記に書いたことで「なに寝言言ってんだ」とか、「なんでまだ勤めてんの」とか言われて、その言葉にまた傷つき、人間関係にも支障をきたし、でも、それでも、どうしても、「本当に辞めてしまう」のが嫌だった。
上司の異常さのために、こっちが社会的に不利益をこうむるのがおかしいだろうっていうのも、当然あった。みんな、これは「たいしたことじゃない(精神衛生に比べれば)」って思うようだけど、わたしは、これは、けっこう「たいしたこと」だと思うんですよね。みんな、自分の権利に対しておとなしいよな、って思うんですよ。蛇足ながら。
でも、それだけだったら、逆に、とっくに辞めてたはずだな、とも思う。もう無理だな、って思ってから、転職のために設定した貯金の目標額っていうのがあって、辞める半年前には、もう、とっくに貯まっていた。いつでも辞められる。ここにお金もある。若いから、きっと、必ず仕事はある。もっとよさそうな職場もきっとある。でも、なんで、自分が辞めないのか、ずっと不思議だった。


直接的に辞めるきっかけになったのは、夏期休暇明けにひどい腰痛をやってしまったことで、そのときに、上司に、その窮状をたてにとった「いじめ」をやられ、とにかく、休ませない、って言うんですね。その時期、持ち回りで夏休みをとってたんですけど、私が朝、病院で遅れるなら、あるいは、欠席するなら、休暇中の別の先輩を呼び戻す(つまり、お前が来い)、って。他にもまだ社員はいるのに、「それしかない」って…そんなわけ、あるか? そのほかにもいろいろあって、とにかく、腰は死ぬほど痛いし、前にも後ろにもまったく曲がらないし、ああ、ここにいたら、殺されるなあと、もう、ふつっ… と何かが切れてしまった。
それで、「辞めます」と相成ったわけなんだけど、そうやって物理的に無理になるまで、「辞める」の線を跳べなかった。
それは、暮らしの不安、権利を通したい気持ち、意地、精神的疲弊、いろいろ、ぐるぐると重なってはいたけれど、でも究極的には、今のこの仕事が好きで、扱っている物事、雑誌の性質が好きで、そして、この仕事には、きっともう二度と就けないだろうと自分でも分っていたからだと思う。なにより、「この雑誌」は、ここでしか作れなかったから。
まだまだ、やりたいことがいっぱいあった。自由にやれるようになったら、ああしよう、こうしよう、このページはこういうふうにしよう、仕事のやり方はこういうふうに変えよう、とか、数限りなく思っていた。
会社の最後の日に、帰りの電車の中で思ったのは、疲れた、でも、終わった、でもなく、悔しい、だった。自分はこんなにこの仕事が好きだったんだなあ、と、自分でもびっくりだった。好きな仕事を手放して悲しくて、でも、続けるのもどうしても無理だったんだ、と思ったら、本当に悔しくて、電車の中でおいおいと泣いてしまい(まるで「アンティーク」の小野だ!・笑)、隣の隣の女の人がくれたティッシュを、私は、いつまでも忘れません。(←答辞)  まったく、そのあと通い始めた編集講座でも、習うこと知ることが軒並み、前いた雑誌のことに繋がっていくし、そのたびに寂しく、残念に思った。雑誌をやるからには編集長を目指せ、って一般に言うけど、それは真実だと思う。編集長にならなきゃ、しょうがないっていうと語弊があるけど、でも、それは、本当に「そういうもの」なんだと思う。もともと異論はなかったけど、辞めてみて、講座でたくさんの編集長氏の講義を聞いてまた、つくづく思う。そう考えたら、前のところは、確実に、編集長を狙える編集部だったのに。ああ、超、悔しい…! と思う。捨てたくなかったな、と思う。
でも、しようがない。


今の会社に決めたのは、他の内定を断ったり色々考えた結果で、納得はしていて、不安はあるけど前向きに頑張るしかない、という気持。やってみたい仕事ではあるし、働ける環境があるのは本当にありがたく、採ってくれてありがとうございます、という気持だ。こんなのを。
編集を離れて寂しい気持ちはあっても、現状に不満とか鬱屈とかはなくて、「人生の第二章!」くらいの気持なんだけれど、それとはまた別の次元で、前の仕事をやめざるを得なかったのは、本当に残念だったので。私みたいに、好きな仕事をみすみす去るなんて悲しいことは、できるなら少なくなってほしいし、そうならずに済むための方法、作戦というのもたくさんあるはずだと思うので、自分が知りえたこととか、パワハラを調停してくれる機関のことなど、カテゴリーを作って情報をシェアしていければと思います。こういうのって、日常的な情報の量が、すごくものをいうんだな、と思った。いきなり「訴訟」じゃ、こっちがびっくりしちゃうし(被害者なのに!)、かといって、黙って泣き寝入り退職じゃ、それもあんまりじゃないですか。もっとこう、いろいろ方策もあるようで(知ったのが遅かったんだけど…!)、そのへんを書いていきたいです。ちょっとでも、予備知識の予備、くらいにはなれたら・・・ と思います。