8人の女たち


一番好きな映画はなんですか、と聞かれたら、「8人の女たち」と答えるくらい、この作品が好きです。
で、今日、久々にDVDで見返した。面白かった・・・
何がいいって、全てがいいんですが、8人の、まったくタイプの違う女性をずーっと見ていられるだけで面白い。
このフランソワ・オゾン監督のまなざしがとても不思議で、「これを、男性が撮ったなんて・・・」と思う一方、「いや、男性でなければ、これは撮れなかっただろうな」と、すぐに思わされる。


内容は、グランド・ホテル形式のミステリーで、「雪で閉ざされたお屋敷で起こる殺人事件」というもの。
その舞台を借りながら、「8人」の女性を通して、描き出されていく諸々。
心理劇、かつ人間劇で、人間劇といっても「ヒューマニティーもの」ではなく、「女性であるところの人間」を、見つめようとするアプローチが面白い。哲学的になりすぎないところが優れていて、なまの感じ、血の通っている感覚、思考が、映し出されているところがとてもいい。


カトリーヌ・ドヌーヴと、ファニー・アルダンが、やっぱり、圧巻。
エマニュエル・ベアールも大好きです。
本当、50代になってファニー・アルダンのようになっているには、どういう人生を送っていったらいいのでしょうか。
とりあえず、化粧を落としてから寝ろよという話ですよね、すみません・・・! と、TVの前で猛省しました(昨晩サボった)


あと、この映画の中で強烈に印象深いシーンを、再び見られて感慨深かった。
地味で、瘦せぎすで、メガネでお堅いオーギュスティーヌ(主人公の叔母。40歳くらい?)が、お色気ムンムンのメイド、ルイーズ(趣味:勤め先の家庭を崩壊させること。でも本心はレズビアン 女優はエマニュエル・ベアール)に、映画の中盤を過ぎたくらいで、ためらいつつ尋ねるわけですよ。

「ねえ、どうすれば『誘惑』できるの?」


ここでの、ルイーズの答えが次。

「女のセクシーさっていうのは学ぶものじゃないの。あるか、ないかよ


・・・これを最初に聞いた時は、まるで、鈍器で殴られたかのような衝撃を受けたものでした。
そうかっ・・・!(ガクリ) 的な。
わたし、初めてこれを見たときはまだ大学生で、忘れもしない、正月に実家の茶の間で見たんですよね。超もっさい格好で、コタツに入って見てたわけ。明らかに「絶無・・・!」なわけですよ。セクシーさとか。
で、今また再度見直してみて、自分・・・あれから5年経ってますけど、どんだけ変わってますかと。あいかわらず「ない」じゃないですかと。なぜ俺はあんな無駄な時間を・・・! と、三井スラムダンク)ばりに、激しく問いかけるわけですよ。ああ、涙でポカリの缶を開けられない…!



ともかく、久々にファニー・アルダンを見て癒された・・・ マジで・・・
社会的な達成という面では、「ああ30になる! なっちゃう! どうしよう!!!!!」的な焦りがめちゃくちゃあるんですけど、一方、「女」側面ではあんまりそういうのがなくて、・・・あれ、だから、縁遠いのか?? と、ハタと(笑) ふつう逆だよ。むしろ、ウチの親族が焦ってるよ(笑)


いやでも、男からしたらどうかしらんけど、その年代年代の女性の美しさってやっぱり、あるじゃん。あると思うんよ。最近は急速に忘れ去られつつある概念だと思うけど、「年相応」って、すっごく、大事なことだと思うんですよ。あらゆる意味で。
久しぶりにこの作品を見て、年をとるのはわるくない、全くわるくない・・・ と、すごく思った。
50歳にならなきゃできない格好ってのもあると思うんですよね。ああ、早くああいう風に髪を巻いてみたいなー、とか。ネッカチーフで頭を覆ってみたいなー、とか。そのために必要なもの=財力、ですね。よし、がんばるぞ、と、人生にやる気を得ました。


「いつまでも『女子』でいいじゃん!」というのが時代の一つの流れだけど(それは女性にとってのひとつの解放ですね)、節目節目で折り目をつけていくように、「階段」を上がっていくことも、いいよな、大事なことだよな、としみじみ思うこの頃です。




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余談ながら、自分のオタク生活と照らすと(すいません、地続きなんで…)、そういう意味では、「腐女子」の「女子」が、自分には、正直言ってきつい(笑)。
ジョシという響きに、すでに、打ちのめされている自分がいます。あの・・・もう、「女子」適応年齢じゃないでしょ? みたいな。女、かもしれないけど、子、ではないでしょ? 的な。
私が、どうも「腐女子」ていう言葉とか、括りがしっくりこないなー と思うのには、それも結構あるよなとよく思う。まずもって、自分から、「腐」がついてるとはいえ「女子」ですと自称するのが、すごい言いづらいし、言いたいと、あんまり思わない。(「ユリイカ」で上野先生が書いてたこともよくわかるけど、でもな…と思う。フェミの戦略としては、そうなるんだろうな、と思うけど)だからって、貴腐人なら平気かとかそういう話でもないんですけど。(オチョウフジンとかね・笑)




ファニー・アルダンエマニュエル・ベアールの、「恍惚」も面白いです。